とりつく

卒論の中間発表があと4日くらいに迫っているのだが、今日は京都へ。科研講演会を聴きに行ってきた。先生のご発表は実は今回が初めてだったのである。内容は、先生の心霊写真論と篠原先生の「軟体構築」。

時間の問題もあったのか若干先生の話されるスピードが早く、僕の理解がおぼつかない。心霊写真が強度をもって磁場を形成するように、ミースの建築(模型)写真にはどことなく「とりつく力」が見られるんじゃ無かろうかと思う。その辺を今回のゼミ発表でやるつもりです。篠原先生の「軟体構築」は詳細をもっとお聞きしたかったのだが、例示されていたレイノーのタイルまみれ建築は面白かった。時代的に(おそらく)「ネオ・ブルータリズム」の影響を外観の打ちっぱなしコンクリートに見てしまうのだけど、内部はびっちりとタイルが綺麗に貼られている。しかも意外と住みにくくないんじゃないかとか少し思ってしまう、しょうゆとかこぼしてもすぐ取れるし。ロースの装飾論でこき下ろされているホフマンの一作品は装飾というより綺麗なタイル貼りだったのだけど、ちょっとこのタイルという素材についても調べてみたくなった。

行きしはこれを

錯乱のニューヨーク (ちくま学芸文庫)

錯乱のニューヨーク (ちくま学芸文庫)

グリッドに関するマンハッタンの史実的な情報を入手したかった。ミースのパヴィリオンに関するフィクション(詳細不明、詳しくはおそらく『S,M,L,XL』参照)なんかをまことしやかに語る際に彼の脚本家(しかもラス・メイヤーのらしい!)キャリアが俄かに出てきてしまう。マンハッタンの摩天楼を語るコールハースはどう考えても腹に一物抱えているのだけど、そもそもマンハッタンとはそういう欲望の集まる土地だったのではないかなぁと思ってしまう(あまり詳しくは今踏み込まないでおこうっと)。個人的に気になったのはこの本の中にミースが「全く」出てこないということだ。パヴィリオンの「カヴァー」をしてるコールハースなのになぜだ!