読書会久々

今日はユベルマン読書会。間何回か抜けていたので話を必死に追っていた。イコンを離れインデックスとなったシミであるが、これに近づくと見えず、遠ざかると見えてくるという「加工」によって形象へと近づいていく。バシュラールを引きながら、表面への接近とともに噴出してくる多くの細部によって以前の認識が崩されうるという可能性が「遠近」という枠組みが対比的に述べられている。形象化とはある一定の筋を持ったドラマになっていくことでもあり、そこに付随する「参照性の幻想」とは上のような細部にまつわる「どちらでもありうること」を一つの流れの中に包摂するシステムである(のか?)。

ここで少しコールハースが引用するダリの「偏執病的批判方法」を連想してしまった。これは「気狂いじみた連想や夢解釈の批判的にして組織的な客体化作業に基づく非合理的な知に関する自然発生的な方法」なのであるが、要するに偏執病とは解釈妄想であって、あらゆる出来事や事実を単一の思考体系に取り込み自らの妄想を確認し強化するのである(昔のエントリでも触れたが)。フロイト的という感はあるのだが、もしかしたらある種の「退行」なのではなかろうか。