何を指向するのか

今日はデザインの授業。オブジェクト指向のデザインについての概説。例えばパワーポイントのようなユーザーインターフェースがそれにあたるのだが、文書ファイルや音楽ファイルなどの「オブジェクト」を先に選択させ、そのあとに選択する「ファンクション」(「函数」のほう)の幅を限定させていくというようなデザインの方法。ちなみに文法で言うと日本語に近い(「塩」を「取る」、みたいな感じ)。以下ながめの雑感。

先生と業後はなしていたのだが、どうもこのあたりの話は聞き手のフックが弱いらしい。確かに「ユーザーインターフェース」が何なのかとか、オブジェクト指向の反対は何なのかとか引っかかるところは多い。「ユーザーインターフェース」とは基本的には「接点」なのだが、内部環境(ユーザー)と外部環境(パソコンとか)の間にあったり、行為(制作)と行為(使用)の間にあったりする。ただ「ユーザーインターフェース」にも物理的なもの(キーボード)から概念的なもの(コミュニケーションの総体)まで階層がいくつかあるから授業で取り上げるとなるとやはり分かりづらい。でオブジェクト指向の反対はということなのだが、基本的には「函数指向」である(「手続き指向」とかいろいろヴァリアントがあるにはあるようだ)。オブジェクトよりは函数を先に選択させるわけだが、デザインにはほとんど使用されていないらしい(「C」のようなプログライング言語はファンクション指向であるらしい)。

都市計画なんかはまったくオブジェクト指向なのであって、これに対して批判を唱えたのがクリストファー・アレクサンダーの「都市はツリーではない」だったりする。学校とか銀行とかいったくくりで「オブジェクト」を所与のものとして規定して分析してしまうことによってその都市はスタティックなものにならざるを得ない。かといってファンクションを先に出せばいいのではないかという解決策には行けないのであって、というのもそれがいかなる都市なのかがはっきりと分かりづらいのである。二つのモデルを縫うようなデザインを考えるとしたら、コマンドプロセスをいちいちプログラミングさせていくようなものとなる。そうなるとコンビニのPOSシステムなんかがそれにあたるのだろうか。しかもこのモデルだと間接的にユーザー・オリエンテッドにもなる。「コンビニ都市」なんてポレミックなタイトルで誰かすでに本を書いてそうな気もするけど。基本的に日本の戦後の都市計画は丹下さんの「東京計画1960」にも代表されるようにインフラの整備に終始してしまったわけであって、この流れが続く限りは「コンビニ都市」の計画も難しそう。新幹線の駅の話とかは結構象徴的だ。