知識人は大移動する

のウィリアム・ジョーディによる「アメリカにおけるバウハウスの余波」を読む。ちなみに原文の副題は「グロピウス、ミース、そしてブロイアー」と個人的にはうってつけのもの。かなり前に先輩にコピーをいただいたきり読んでなかったのを引っ張り出して読んでみた。というのもここ最近1920年代におけるアメリカとヨーロッパとの関連性に興味があり、アメリカのスカイスクレーパーがヨーロッパにおいてどのようなトピック(トポス?)となっていたのかを調べてみたかったのである。

とはいえ、この論文はヨーロッパ(特にドイツ)の建築家がアメリカの環境とどのように折り合いをつけ作品を残していったのか、という点に特化しているため、彼らの亡命以前(大体ナチが台頭する前つまり1920年代以前)にアメリカがヨーロッパにとってなにものであったのかに関する記述が比較的少ない。ただヨーロッパの人たちによる主要著作の英訳された年がある程度リストアップされているのは嬉しい。例えばコルビュジエが『建築を目指して』でアメリカの工業技術による製作物やフォードのあり方を引き合いに出しながら賞賛していたことは、1922年の英訳によって欧米双方に影響を及ぼした。いわばコルビュジエはある種のインターフェースとなっていたわけである。ここからヨーロッパの個々の建築家が何を読み取り、何を捨象したのかに関してもっと知りたいと思うのである。とはいっても、ヨーロッパからの働きかけに対するリアクションとしてのアメリカ、という単純な構図になっているわけではないので結構使えそう。文が翻訳調なのがちょっと読みにくいけど。

そうそう、ミースの「私はシカゴ派(ミースのアメリカ時代の作品と似てる)など知らない。移動はずっとタクシーだったからだ。」という言説が生真面目なことにリテラルにとられていたのだが、これは嘘かよくいって冗談だとおもう。この論文のミース像を象徴的に示す箇所だなぁとも(ストレートに)思ってしまった。

そうそう(その2)、この論文でも「絶大な影響力を誇った」とされているギーディオンの『空間・時間・建築』の中に「エレベーター」にまつわる箇所があった。シカゴ派にあわせたのか19世紀まででとまっている短い記述なのでもう少し通史的なもはあるまいか。