集中講義二日目

集中講義二日目。

絵画は単純にイメージを表象するものであるまえに、意味論的な統語法によって構成されたテクストである、という点から絵画を読んでいくという講義(だと思う)。参照すべき物語(福音書?)を図解する中世から、個人の視点に見えてくるものを線遠近法で構成していくルネサンスまでをたどる。語りの視点と観者の視点を混同することなく、その関係性を定式化していこうというねらいもあるようだ。

ミースの写真には加工がなされていて、ライティング、着色、トリミングなどなどが施されているのだが、そう考えると単純にこれを事実の記録としてとらえることができない。写真というインデックスが喚起する「バルセロナ・パヴィリオン」をめぐる出来事は、写真が常にそれを示唆し続ける限り、その直接的な証拠である写真を手がかりとしてアクセスされるはず。いわばその入り口で加工がなされていると、その加工をなした人物の意図がかかわってくる。超越論的な点から撮影されたパヴィリオンの写真に着色を施すミース(おそらく)、こうした二つの視点がこの写真には内在しているのである。

この講義を聴きながらこういうことを考えているのである。