テクノロジー

ミースの建築はアーキテクトニックな要素一般の隠喩的次元の価値を低下させた。これはとりわけ柱と壁の関係についての古典的ディスクールの価値低下において顕著である。ハルトゥーニアンの論文「ミース・ファン・デル・ローエ:柱と壁の系譜」は大体上のテーマを証立てることが企てられている。当のテーマに関して言えば、これは要するにミース建築におけるテクノロジーの問題と深く関連していると思う。

1920年代あたりにミースは「時代精神」を語りだすのだが、ハルトゥーニアンも述べるように、これはテクノロジーのことである。ミースは歴史における一つの駆動力として「時代精神」なるものをとらえており、具体的にそれがテクノロジーと同一化されるのである。「建築は空間的に把握された時代精神である」という旨の言葉によって、ミースはオブラートに包みながらテクノロジーを建築の文脈に統合したといえる。

     
ところで、パヴィリオンにおける柱と壁は、アルベルティ(左:パラッツォ・ルチェライ)におけるような一方と他方の相補的関係から自由になっている。壁はもはや支えることから自由になっているし、柱も今やいかなる象徴体系にも属していない。これはつまり合理主義的な態度によって、その不連続的な要素の配置は構造的な効率に基づいて決定されているのみである(右:バルセロナ・パヴィリオン)。いわばかつての文脈から統辞論的にミースの建築を見たとき、ここには穴が開いているともいえる。

こうしたミース言語は一種「建築の解体」あるいは「建築のモノ化(商品化といっては言いすぎだろうか)」をなしているのだが、だとするとその対象に自らの建築をも包摂してしまうことにはならないだろうか。建築的文脈におけるシニフィエが希薄な「浮遊するシニフィアン」とでも言うべきものを生み出す姿勢は、果たして当時のアヴァンギャルド的なものだということができるのだろうか。でもこのプロセスこそ慣習的な建築の価値低下を意味しているのであって、その限りにおいてミースはきわめてアヴァンギャルドということができるようにも思う。散漫だわ(自分が)。