ミュラー邸

今日は口頭にて若干の発表。ミースと写真の関係について。

上は前にもちょっとエントリで触れた1912年の「ミュラー邸」である。美術品収集家であったクライアントのためにドローイングを描き、縮尺模型を作り、それでも理解が得られなかったために一分の一スケール(つまり実物大)の模型を木材とキャンバスで作り、結局落とされたという逸話つき。このプロジェクトにはミースの師匠のベーレンス、そしてオランダのベルラーヘ(このときミースとは30くらい歳が離れていた大御所だった)も噛んでおり、事実上三つ巴の壮絶コンペになったらしい。結局誰にも依頼が行かなかったのだが。

ただこの実物大模型をうつした写真をミースは、7年後の1919年、グロピウス主催の「知られざる建築家」展に出品している。他の出品作はほとんどドローイングであり、その建築案もきわめて幻想的なものが多かったらしい。にもかかわらず、ほかならぬこのミュラー邸の模型写真を提出しているというところが気になる。

ところでこの実物大模型、写真にうつった限りでは実物との違いがほとんど分からない(白黒写真ということもある)。ミースにとって、頭の中でイメージしていた何かがそのまま具現化されたように感じたのではないだろうか。つまり設計プロセスであるはずの模型によって、すでに実体と見まごうほどのイメージがここ(この段階)で生成しているということだ。ミースがプロジェクトを降り、自らの写真を見直した際に、こうした現象が彼に強い影響を与えているように思う。