ミース展

ミースの名声は50年代以降になってはじめて確固としたものになる。「バルセロナ・パヴィリオン」の評価も大体同じだと考えてよいだろう。そしてミース評価において重要な役割を果たした要素として1930年代初頭の「インターナショナル・スタイル」展、そして1940年代後半の「ミース・ファン・デル・ローエ」展が挙げられる。ちなみにどちらの展覧会もMoMAにおいて開かれ、なおかつフィリップ・ジョンソンが絡んでいる。

展覧会は写真、模型、家具(ほとんど椅子だけど)からなっていたようだ。写真に関しては、大きく引き伸ばされ、人の背丈をゆうに越えるほどの拡大サイズで展示されていたらしい。

それにしてもなぜパヴィリオン写真は設計プロセスを示すような媒体に囲まれているのだろうか。なお、左から模型(「ガラスのスカイスクレーパー案」)、実作写真(「パヴィリオン」)、スケッチ(これ見たことない、何だろう)、ドローイング(「フリードリヒシュトラッセのスカイスクレーパー案」)。

Mies Van Der Rohe

Mies Van Der Rohe

これがカタログ。53年の第二版が京都工繊大にあるようなのでいってみよう。ついでに「Architecutural Forum」誌の1929年11月号に掲載されているバルセロナ万博の論文*1京都大学にあるようなので見てこよう。

*1:ちなみにうちの大学図書館の書庫のなかにある「開か(れ)ずの棚」みたいなところを司書のおじいちゃんに教えてもらって探したのだがなかった。「空襲で焼けたのだろう」とのことだった。ううむ