ミースの建築写真論

昨日の3限は教室の隣でコンクリート打つから中止、ということで15分で終わる。事務の人たちよ、どうか連絡だけはきっちりしていただきたい。


で今日はプロスペクトもかねてゼミ発表。といっても断片だが。テーマとしてはミースのモンタージュとパヴィリオンにおける写真比較(の導入)。どうやら神戸大学の自然系にはミースのフォトモンタージュに関して研究なされている方々がいるらしい。今回はあまり使用しなかったが、基本データは岩田・足立「ミース・ファン・デル・ローエモンタージュ表現とその特質に関する研究」、『日本建築学会計画系論文集』第607号、207-214、2006、参照。ミースの通算モンタージュ数がリストアップされている。すごい。あとは

Mies in Berlin

Mies in Berlin

のなかのAndres Lepik「Mies and Photomontage 1910-1938」なんかも参照。ちなみに表紙はトーマス・ルフが撮った《バルセロナ・パヴィリオン》。

今回の発表は大体以下の通り。絵画平面の統一性を破壊するというダダ的な革新性はミースにはほとんど見られない。しかし逆にその統一性によって、そしてそれをパブリシティ用に目的化することで、モンタージュは「設計図」という位置からはずされる。もともと設計図とは実体としての建築作品へと漸近するような単線的時間軸に存在していたのである。しかし《ミュラー邸実物大模型》のような「撮影したのは設計途中の実物大模型だったはずが、後から見てみたら完成したものに見える」という不思議な現象のように、写真というメディアは設計プロセスに存在する単線性を混乱させるのではないか。

写真は撮影によって出来事を過去のものにするのであるが、モンタージュにおける地としての写真は、その「過去」が写真である限りにおいて同定不可能となる。他方で未来形のドローイングがそこに入り込むことによって、事後的にそれを眺める観者は、当時における「かつて」と「いまだ」という二つの時制のあいだで宙吊りにされるのではないか(なお上の写真は1928年《アダム・ビルディング》案)。


という感じ。ゴチャゴチャしているし、このままパヴィリオンにつなげても空振りする感が多い。実際指摘していただいた点も構成に関するところが多かった。その中で「フォトモンタージュとは未来形における過去完了である」と考えてみてはという指摘をいただく。そしてそうであるという了解が存在しており、このモンタージュがミースの作品として認められているのだったら、実際に建てられたパヴィリオンの写真に課せられる存在論的な重さに関して考えてみてはどうか、という旨(だと理解したのですが)のアドヴァイスをいただき、これは使えそうかもと思う。ありがとうございます。


それにしてもこのゼミ発表、割り振りがなく皆が好きなときにネタを持ち寄るというポットラック形式(とは言わないか)で、毎週色の違う話が聞けて面白い。分析方法や構成、質疑応答のやりとりとか勉強になること多し。