建築少女
おつゆさんのところで紹介されているパンチの効いた画像はこのサイトにあります。ちなみに「大隈講堂」ガール(@早稲田)はどうやらヒロスエらしい。
→「建築少女研究会らいと」
このサイト、この本で紹介されている。
現代建築に関する16章 〈空間、時間、そして世界〉 (講談社現代新書)
- 作者: 五十嵐太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/11/17
- メディア: 新書
- 購入: 4人 クリック: 116回
- この商品を含むブログ (58件) を見る
「少女」と言えばギリシャ建築、オーダー、コリント式、という教科書的な知識しか浮かんでこない。近代建築というきわめて男性的な流れにどっぷり浸かって無反省な自分を恥じ入るばかりである。ロース建築が「ズボンをはいた婦人」(だったかな?違うかも)と揶揄され、コルビュジエの「モデュロール」が平均的な「男性」の身長をプログラミングしている、というところからも近代建築の男性性がうかがえるのではないだろうか。建築家の意図を表現するために石を変形させていく、というゴリゴリのロマン主義的新古典主義思想が案外男性的な形象と結びつきやすかったのかしら。ただ印象だけだがミースはそういう性差をどこか超越している気がする。というより人間そのものに頓着している感じがしない。そして個人的にはこの「無頓着」が「ユニバーサル・スペース」の起源だと思う。
ところで、「建築少女研究会」は分離派宣言のパロディ的プロパガンダを掲げており(「われわれは起つ!」というあれ)論理的に自らの流れを構築しようとしているようだ。ちなみになぜ「少女」かに関しては、最近の建築が皮膚のようにファサードをキラキラさせているからという単純な連想ではなさそう。むしろスクラップ・アンド・ビルドという昨今の建築のショート・ライフ・スパンから、その「たゆたさ」に少女的な面を見ていこうというねらいもあるらしい。もちろんそれだけではないだろうが。
まとまった論考とかないだろうか、寄稿された文章でもあれば読んでみたい。全面的に賛同すべきかまだうまくつかめないところがあるからなおさらだ。ちなみに五十嵐さん曰くこのサイトではお話が展開しており、「バウハウス学園にアヴァンギャルド戦隊がいる」らしい。ううむ。。。