ドローイング

id:morohiro_sさんがエントリで触れてらしたフジモリさんの講演会行ってこようと思う。このタイミングでごむたいだよと思いながらも。。。

講演テーマ:発見と創造 〜人・自然・建築の関係から〜
講師:藤森 照信 氏(東京大学教授・建築史家・建築家)
日程:2006年12月21日(木)
時間:13:00〜14:30
会場:京都精華大学 黎明館 L101
参加費:無料


詳細はコチラ→http://www.kyoto-seika.ac.jp/t_news/info/n_hujimori.html


ドローイングにかんしてベルニーニをやっている友人といろいろ話をする。

美はなぜ乱調にあるのか―社会学的考察

美はなぜ乱調にあるのか―社会学的考察

ドローイングを考察するとき、遠近法は一つのポイントになりそうだ。ということで「精神=身体のパースペクティヴ」を読んでみる。

大澤さんの論とは特に関係ないのだが、建築ドローイングにおいて透視図と直角図の違いやらがあまりにもさっくりと考察の対象からすり抜けているように思えてならない。言語、写真、模型、ドローイングといったメディア間の差異が建築という機制によって統語的に埋められているのではないか。そしてその根本に建設というプロセスのオーソリティがあるのではないか。つまりこれらのメディアはすべて建てるという行為に権利的に従属しているといったように。だとすると、ミュラー邸の「アナクロニシティ」(こういう名づけ方があっているの分からないが)はこの構図に関して考えるポイントになるはず。ここのロジックははたして繋がるのだろうか。