ゼネコンと清水喜助

そういえば「ゼネコン」ってなんとなしに使っているが、正確には建設を一括して請け負う企業のことを指すらしい。規模の大きい建物の建設時には複数の元請企業、その下請け、さらにその下請け、という形で複数の企業が階層になって現場に関与するらしいのだが、それを一本化して請け負うのがゼネコンだということだろう。ゼネラル・コントラクター(General Contractor)の略らしいがおそらく和製英語だろう。今回談合疑惑が浮上した清水、鹿島、大林などに関しては「スーパー・ゼネコン」と呼ばれており、設計なんかもやる。この「なんでもやっちゃう」というところに疑いの目が差し向けられるのだろうか。
ところでそのなかでも清水建設の歴史をぐーっとたどると清水喜助という大工につきあたる。明治のはじめの頃だ。江戸末期に開国した日本にコロニアル様式が進入してきたくらいの時期にあたる。その時代の有名な建物として例えば長崎の「グラバー邸」なんかがある。

日本の近代建築〈上 幕末・明治篇〉 (岩波新書)

日本の近代建築〈上 幕末・明治篇〉 (岩波新書)

この時代にやってきた海のものとも山のものともよくわからない山師のような外国人に建築方法を学んだのが清水だったようだ。もちろん彼だけではない。おかげで古いものから新しいものへというシンプルな刷新を目指した、パワフルだけど奇妙な建物がたくさんできた。体系的に建築を教えるためにヨーロッパから先生が招かれるより少し前、伊東忠太らが「日本的なるもの」を模索するよりもかなり前の話。日本では昔から棟梁が設計から建設までやっていたらしいが、清水は固有名を伴う分「スーパー・ゼネコン」の縮図にも見えてくる。

この後こうしたカオス的な状況を体系化して様式的に建築をなしていこうとする動きがあるのだが、その際の情報媒体としては外国人教師や留学生なんかが多かったようだ。藤森さんの本ではこうした流れの中におけるジャーナリズムでの情報伝達に関してあまり触れられていない(少なくとも上巻では)。そもそも存在していなかったのだろうか。等閑視されていただけなのだろうか。