卒論発表会へ

そろそろ卒論発表会の原稿を書きはじめないと。書きすぎた論文をどう削って発表の尺にあわせたらいいものか・・・

いままでのミース解釈は一定の「ミース的なもの」を固定化して歴史化してしまっており、そこに冠せられたモダニズムというラベルによって、以後否定すべきものへと変容してしまった。これを現行の文脈でアクチュアルにすることが個人的なねらいだった。その一環としてのミース写真論であり、この写真という枠組みを図面や言説(ノーテーションといいたいところだ)へと広げることで、これがミースをめぐる建築写真論にとどまってしまうことを避けた(つもり)。ミースが取り組んだ対象としてのノーテーションへとわれわれがどう参与してきたのか、これを現行のミース解釈を紐解くことで露呈させること、これがサブテーマの一つだった。ただサブテーマが多くなりすぎて回収しきれなくなったのが問題だけど。

そんなところに中谷さんの「セヴェラルネス」という面白い概念が登場したので、これを批判的に持論へと援用してなるべくクリアにさせることがポイントになるはずだ。そのへんの奮闘をこれからコマ切りにしてエントリに挙げていこう。備忘録的な試みもかねて。

空腹の技法 (新潮文庫)

空腹の技法 (新潮文庫)

『幽霊たち』『シティ・オブ・グラス』『ムーン・パレス』などで有名なアメリカ人作家ポール・オースターのエッセイ集。彼が小説家になる前に口を糊するために書いたものや、翻訳に際しての序文、そして著作出版後のインタヴューを三部に分けて収録してある。論考はその大半が詩人に関するものとなっている。

そのなかの一人に、ルイ・ウルフソンという人がいる。彼は英語恐怖症のアメリカ人であり、自らの著作『分裂病者と言語』をフランス語で、かつ様々な言語を駆使して上梓する。英語の語彙各々の持つ意味、語のつながり、この両側面をポイントにしてドイツ語やフランス語へと変換する。英語の一センテンスを構成する各語の持つ各々のパラダイムから一つを決定するわけだが、この可能性としては無限にある。それでも彼の作るセンテンスは必ず一つが決定されるのである。

こうした決定された一つのセンテンスを固定化して見てしまうよりも、彼のメカニズムへと思いをはせること。こんな感じでミースも見てみたいのである。