外挿される高層ビル

似ている。
 
左はエドワードスタイケンがダニエル・バンハムの《フラット・アイアン・ビル》を撮影したもので、右はミースの《フリードリヒシュトラッセのオフィス・ビル》案のフォトモンタージュである。左は建てられ、右はアンビルド。年代的には左が1900年代で、右が1920年代。さらに左がアメリカで右がドイツといういろんな相違点がある。

この辺は結局卒論で取り扱わなかった。なぜなら最後の最後になって混乱して消したからである。でもこの問題は都市論と空間論に結節できるはず。

不気味な建築

不気味な建築

このなかの「ポスト・アーバニズム」ではプレ近代における遠近法的都市と近代における図と地の都市が対立させられている。ちなみに第三項として図もない都市としてポストモダンが来る。図と地の都市におけるヴィドラーの論はサルトルのカフェとのアナロジー(待ち合わせ時間に遅れ来てカフェの中に会うべき人を探すけれどそこに彼はいない。これをモダニティを都市の中に探すモダニストたちになぞらえる)を語っていて面白いのだが、こうしたモデルが一方にある。都市を身体として見る、都市計画を治療の一種として考える。こうしたことがその一例として考えられるだろうか。ただこれは空間論にもつながると思うのだが、アメリカにおける計測可能な(グリッドに囲まれた)空間が、ヨーロッパの都市の「治療薬」として外挿される。アメリカにおけるスカイスクレーパーが意味を変換され、この交差点におけるメディアの役割を果たしている。これが他方にある。

こうしたアメリカとヨーロッパとの交差のあり方を、冒頭の2枚の写真からちょっと想像してみたいのである。ミースによる都市への対応法がどこか同時代人のなかで突き抜けている理由もこのあたりにあるのではないかしらと思っている。