卒論発表会

引越しやら原稿書きやらでバタバタしておりました。今日は京都で視聴覚文化研究会の発表。

一応卒論発表ということだったのだが、どう考えてもそのままのものをまるごと出したり(六万字)要約したりすることが不可能だったので、一章二章を抜き出して、さらに縮めることにした。大体はミースとバルセロナ・パヴィリオンのイメージとの関わりを批判的に読み解きながら、それのみでパヴィリオンが評価されたところの写真を具体的に分析すること、これを心がけた。テーマとしてはそれほど新しくないミースのメディア戦略はひとつの前提としていたのだが、ちょっと前景化しすぎたきらいがある。ミースの作家性のオルタナティヴを提示しよう!というような意図はなかったのだが、記述の仕方に気をつけなければいけない。

ということで今後の課題。ご指摘をたくさんいただいたのだが、以下何点か忘れないうちに。

○まずパヴィリオンの写真を能動的に使用し、ミースを戦略的におしだそうとした人々の主体性を各々レベルにわけて考察すること。例えばフィリップ・ジョンソン。彼とミースの関わりはとても興味深い問題である(だれかが論文書いててもよさそうなんだけどな)。ジョンソンがモダニズムポストモダニズムとを共に牽引した主要人物であること、これがまず前提にあり、その際MoMAという美術館でいかなる展示がなされたのか、いつジョンソンがミースから離れたのか、こうした点にポイントがあるような気がする。

○今回「組写真」におけるシンタックスコルビュジエに見て、その対象項としてミースをとらえたのだが、ちょっと話がシンプルすぎた。コロミーナが分析しているロースとコルビュジエとの二項に、どうミースを位置づけるか。まずこれが一点。そして彼女の分析方法を踏襲しながらミースを対象にすることはできるのか。例えばファサードの問題や「キメ顔」的なアングルや撮影場所の指定なんかがミースの建築にも見て取れるような気はするが、これを精緻に見ていきたい。

○あとトピックとして「再建」だとか「保存」というものをどう考えるか、ということ。これはまったく対象外になってしまっていた。面白い問題なのでいろいろネタを探しながら考えていきたい。

まだまだご指摘いただいた。これからの課題にしていきます。いろいろとありがとうございました。


で、飲み会中なぜか廃墟から「巨大なもの」へと話が飛び、そういえばこんなサイトがあったことをおもいだした。
→「巨大なものが怖いという まとめサイト

 
左がダムで右が鉄塔を下から撮影したもの。巨大すぎることで実際の建物がミニチュアみたいに見えたり、スケール感がついていけなさすぎたりとどうにも奇妙な気分になる。大体俯瞰写真が多いのだが、あえてアオらず強烈な「見上げ」で撮影することで高層ビルが威圧的に見えたりと、撮影方法によっていくつかの類型に分けることができる気がする。「怖い」という言い方しかできないこの不思議なキモチを、ちょっと分析してみたいなと思ったりもする。