本間義人『地域再生の条件』

先日の発表の中で地域美術館にかんするものがあり、ハコモノ行政の一環として整備された美術館をどう活用していくかが実践的に考察されていた。で、それに少し関連してこんな本を読んでみた。

地域再生の条件 (岩波新書)

地域再生の条件 (岩波新書)

ジャーナリストから大学教授になった著者の意図は、トップダウン型の地域再生なんかあてにならん、地方のことは地方でやろうぜ、というもの。

いままでの政府から地方へのかかわりがいかに公共事業と関連してきたもので、いかにそれが的外れであったかを一章六章七章で批判。他方地域再生が自律的に行われている例を二章から五章で挙げている。公共事業は仕事が増えるし、できたものによる税収は増えるし、インフラ整備だったらその土地の人もしあわせだし、などなどというケインズの理論を惰性的に信仰してきた(プラスアルファもある、その辺詳細が知りたい)ツケが回ってきているのだろう。

負ける建築

負ける建築

隈研吾もこの本で(泣きながら)「ちがうよ」と説いている。

ただこの二冊を比較してみたときに気づかざるをえないのは、冒頭の本のほうがナイーヴであるということだ。ハード面からソフト面へと重点を移行しようというのが本書の肝であるのだが、そこでの成否を分けるもののなかに「美」や「らしさ」が無批判的に加えられていることは読んでいて引っかかる。「すみやすさ」を軸にした地域再生を謳っているのだが、どうしてもそこで経済効果がカギとならざるをえない。その際に上の二つのマジック・ワードに訴えざるをえないこと、これはもうどうしようもないのだろうか。地方による自立的なソフト面(売りどころ)の創造を促しているのだが、サンプルとして挙げられるのは事後的に見返された「成功したプログラム」でしかない。本書は現状への警告としては十分なものだと思うけれど、はたしてこれが「契機」となるのかはちょっと不安だと思う。その辺は著者の方も意識されているとは思うが。

行政/地方という枠組みを前提としたトップダウンボトムアップ(というかスタンドアローンか)の図式ではなく、これを横断的に相互参照するような本はないものか。何が邪魔でこの齟齬が起こるのか、みたいな。漠然だけど。