レクチャー建築意匠

第三回。今回は「ドローイングについて」講師は京都嵯峨芸大の藤木庸介さんでゲストは建築家の小山隆治さん。CGが建築の再現表象手段として一般化する昨今、ドローイングの独自性について考えてみましょうという話。毎回豊富な図版を見せていただけるのでそれだけでも一時間かけて来た甲斐がある。第二回はこちら

技術の進歩とともにコンピュータスクリーン上でリアリティが容易に得られるようになったが、ドローイングという建築家の表現あるいはノーテーションによって彼らの意図が独自の仕方で描き出されるということのほうに重点を置いてみようとのこと。つまりCGよりも「劣る」手書きの表象能力によって、逆に見るものの想像力が喚起される、という具合に。またドローイングは連続性を持ったプロセスであることも強調される。一つのプロジェクトにまつわる与件を拾い集めていくのもある種その役割であるし、曖昧模糊としたイメージを具体的にかたちへと定着させる契機となることもその働きとして見逃せない。

言い分としては明確だし現在最もアクチュアリティを持つ議論の一つとして考えるべきだろうけど、今ひとつよくわからない。バーチャル・アーキテクトらがデザインプロセスにさえもコンピュータを使って操作していたことに対する批判なのか。ドローイングの見直し?でも見直すっていっても大半の建築家は未だに手で紙に描いている。つまりこの二者は二項対立として比較されるべきなのかが分からない。例えばノーテーションのレベルで考えれば手書き、コンピュータという二者のほかにコラージュという手法も出てくるし、この三者のあり方は単純にマンパワーVS機械という話には終わらないはず。コラージュの議論はもちろん出てきたけど、ドローイングの延長という形でしかとらえられていないように感じた。この辺は卒論でも扱いたかったところなのだがうまくまとまらず、未だに悩んでいるトピックである。

10+1 (No.3(1995Spring))

10+1 (No.3(1995Spring))

八束はじめ氏と多木浩二氏が編集をつとめていたころの『10+1』。第三号はノーテーション特集。あたってみよう