セミナー補足――建築基準法ロマン主義化に関して――

安藤氏が6月20日建築基準法改正に憤慨されていた。というのも、今まで現場でのディテール変更は建築家の表現にとって重要なプロセスであったのだが、これが不可能になったからである。「建築に美はいらないといわれているんです」と憤っておられた。特に現場での変更が多いらしい安藤さんにとっては厳しいはず。

偉大な建築家とは建設前に完璧なヴィジョンを持っていて・・・というヒロイックなロマン主義的建築家観(例えばミースに対するそれとか)に対してうそ臭ささを感じていたのだが、制度としてそれが強制されるというのはなんとも皮肉な話である。一昨年の事件が今回の改正の引き金になったのは間違いなく、「中途変更」という名目で「本音」と「建前」を使い分けさせないという意図があるのだろう。ちなみに中途変更は絶対無理というわけではなく、逐次チェックを受ければ可能である。ただそのために何ヶ月も工事がストップするという状況を考えると事実的に不可能であるといわれているようなもの。それにしてもザ・対症療法で表層的な防止策でしかない。そのとばっちりを食うと思うとなんだか嫌な気持ちになる。実際にプロジェクトをオンゴーイングで担当しているうちの担任なんかは苦虫を噛み潰したような顔をしている(もとからだけど)。

建築に「美」がいるかどうかは別としても、やはり実際に立ち上がる現場に身を置かないと把握できないスケールの問題をどう処理するかはこれからの課題になるだろう。この問題を放棄して、さらなる標準化が進んでいけば結局「建築」自体が日本にとって存在しなくなるようにも思う(「もとからない」という人もいるけど)。