レクチャー建築意匠

7月にはいりましたが、6月最後の金曜日は京都三条のVOXビルで開かれております、「レクチャー建築意匠」の前期最後のレクチャー(四回目)がありました。今回のテーマは都市。講師には大阪産業大の松本裕さん、そしてゲストは京都工繊大の松隈洋さんでした。第三回はこちら

前半は松本さんが近代の都市計画を、19世紀のオスマンによるパリ改造計画あたりから時間軸にそって講釈。松本さんが引いてこられた「イソザキ(磯崎新)モデル」によると、順に①実態的段階②機能論的段階③構造的段階④象徴論的段階となっているらしく、オスマンは①に当たる。

パリ大改造―オースマンの業績 (The cities=new illustrated series)

パリ大改造―オースマンの業績 (The cities=new illustrated series)

②に関しては、たとえばル・コルビュジエのように①でなされた実体から機能を抽出する都市計画がそれに当たる。「CIAM」という一つの「運動」(会議だけど)はまさにこの考え方を推し進めたものだったが、あまりにも「機能」なるものを定式化しすぎることが後続(チームXとか)のヒンシュクを買うわけであった。
ユルバニスム (SD選書 15)

ユルバニスム (SD選書 15)

②から③への移行はだいたい60年代に起こるわけで、丹下健三「東京計画1960」が象徴的にもその一例としてあがる。「メタボリズム」もおそらくここにカタゴライズされるのだが、彼等の名「新陳代謝」が示すように、この段階の特徴は有機体モデルを都市に当てはめていることにある。
メタボリズム―1960年代 日本の建築アヴァンギャルド (INAX叢書)

メタボリズム―1960年代 日本の建築アヴァンギャルド (INAX叢書)

どこかでユートピアと結びついていた近代都市計画概念の行き詰まりはおそらく1965年。「都市はツリーではない」、だからセミラチスにしろと言ったクリストファー・アレグザンダーが『パタンランゲージ』を著すのが1977年。「パタン・ランゲージ」の実践として盈進学園東野高等学校が80年代につくられるのだが、このだいたい20年間がおそらく④。この期間にケヴィン・リンチ、フィリップ・シール等々が都市のフィジカル/アクティヴパターンを結合させるような計画を計画するわけだが、結局都市は計画できないんだなぁということを確認する期間だったと言えるだろうか。

とまあこんな大雑把な概説を松本さんがなされたわけではなく、僕なりの解釈である。あしからず。ちなみに本レクチャーでは、都市計画ならびに「計画」概念自体が失墜した現代において「没場所性」をどうやって乗り越えるのか、という具体的な話までは行かなかった。ただ方向性としては、没場所性を否定も肯定もせず、資本主義のながれのなかでの一背景として割り切ってしまうコールハースの例が提示されていた。

前川國男事務所で働いてらした松隈さんが前川の都市概念をプレゼンするというのが後半だったのだがこの二者がどう通じるのかはよくわからなかった。日本における高層建築黎明期を過ごした前川にとって、都市というよりも自作の公共性のようなもののほうが重要だったのではないだろうか。どこかで都市という全体を放棄するようなところがあると思うのだが。大雑把な印象。