アイカ現代建築セミナー

毎年国内外の有名建築家を呼んで講演会を開いてくれる「アイカ現代建築セミナー」も今年で56回目。昨年のジャン・ヌーヴェルから今年はラファエル・モネオと槇文彦のお二人。会場は大阪のNHKホールだったのでぎりぎり間に合うよう授業終わりにすぐ出たのだが、電車の途中停止なんかで20分くらい遅刻した。園部は今日大雨だったのです(午前中は)。構成としてはモネオ氏の近作プレゼンテーション、槇氏の近作プレゼンテーション、その後にお二方の討論会で計2時間。翻訳機完備なので一安心。

プラド美術館の増築を手がけているモネオ氏にせよ、「島根県立古代出雲歴史博物館」が最近できたばかりの槇氏にせよ、お二方ともプレゼン内容は事欠かない。ただ正直延々と自作を説明されるというのは聞く方としてはなかなかに辛いもので、いつの間にか寝ていた。両者ともに携わっているバーゼルはノヴァルティスのプロジェクトが面白そうだったのだが、情報ソースが見当たらない。

リラックスしたプレゼンとは対照的に、討論会では司会の人(誰か分かりませんでしたが)が解説抜きではいまいち理解しがたい両者の概念を、解説抜きで唐突に切り出したりしていた。「フラグメンテーション」「コラージュ」「タフーリ」「ピラネージ」という語(後二者は固有名だけど)が出るにつれ、周りの人は急に興味を失ったように見えた。しかも時間が50分なかったのでいいところでぶつりと切れ、質疑応答も無く終わった。両者ともに英語が堪能で遠慮なく互いの意見をぶつけていた(「あの二人居酒屋で喋ってるみたいだったよね」と帰りに友人と話していた)だけに、残念。

ともあれ個人的にこの討論会は「フラグメンテーション」という概念をお二人の発言の合間に読み取る試みとなった。結局これは突然挫折することになるのだが、当概念とは都市あるいは建物の持つ積層性にアプローチする方法だといえるだろうか。モネオ氏は東京のカオスさを例として挙げ、その「バラバラ」な都市を倫理的に批判するのではなく、そこがそこ以外ではない、という独自の場所性が存在することを肯定する。この「バラバラ」でありつつ、固有の独自性を全体の中で持つことを「フラグメンテーション」というのだろうか(このへんは常に疑問形)。単一的に都市のアイデンティティを把握していこうという試みから脱出すること、これがモネオ氏のねらいだと思われる。一方槇氏はモネオ氏の東京の例に、ある種の倫理観をあらかじめ導入してしまったように思える。このあたりで若干の齟齬があった。だけに両者の意見交換は白熱し、もっと長く聞いていたいと思わせる討論会だった。70代の大先輩にすばらしいお手本を見せつけられたなと正直に思う。

帰りはアイカのカタログと粗品のボールペンもらって帰りました。書きやすいしラッキーだ。