森博嗣の建築
- 作者: 森博嗣,阿竹克人
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2003/06/26
- メディア: 単行本
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そしてこの本の面白さは中途で起こる様々なハプニングにある。「多次元立体」を専門にする言ってみれば濃くマニアな建築家との共同作業自体がまずハプニングではあるが、それ以外にも意味の無い風致地区規制(木を植えろ)との格闘や予算との格闘などなど、施主の夢がみるみる現実的な側面に規制されていく様子がまざまざと見せ付けられる。
- 作者: 森博嗣,佐久間真人,越智めぐみ
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2002/10/01
- メディア: 単行本
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こんなに静かにものが取り残されている、
いつまでも存在し続けていること自体が、
「美」の理由がある、という証拠ではないだろうか。
森氏にとって、建築における「美」はきわめて曖昧としたものだが、存在すべきものとしてある(はず)。近代という時期を境に建築における「美」が「機能」や「技術」によって取って代わられる(というのが言いすぎだとしたら重心が変わる、とか)と個人的に認識している。要するにその代替項の定量的に処理しうる科学性ゆえに「ウケ」たとされているわけだが、それでもなお「割り切れない何か」が建築にはまとわりつくことになっている。ミースのデティールや素材に対する執念(フェティッシュ)なんかもそれ。この亡霊的にまとわりつく「割り切れない何か」が「美」と呼ばれうるのではないかと個人的には思っている。
そして機能主義は廃れたとされているけど、それでもなお合理性を目指した画一的な住居しかつくられていないのならば、むしろ「美」という割り切れないものを信じて建築したほうが面白いじゃないか、と森氏は言っているように思われる。当然、代替概念としての「機能」や「技術」が実はイデオロギー的操作のツールとなっていたことは確かであって、そのあたりをナイーヴに処理してしまうことには批判があるとおもう。でもこれは僕の読み取りの恣意性に咎があるわけで森氏は悪くない。あしからず。ただこういうことをすっきり言ってくれるとちょっと胸がすっきりするというのもまた事実であったりするのだ。