「好み」
今日の建築史は室町時代の茶室について。村田珠光にはじまるお茶の文化をチェックしつつ、室町中期の書院造との連続性と断絶なんかもざっくりとさらう感じの授業。にじり口は武士が刀をさしたまま入れないようにしたもの(正確にはにじり口から中に入るとうち壁の狭い間隔によって刀をさしたままでは回転できない)だとか、それほど広くない庭に動線を配し、物理的には連続している母屋と茶室の間に隔絶感を生み出した、など差し挟まれるコネタがまた面白い。歴史的にはこの次に数奇屋風書院が待ってるわけだが、今月号のカーサはこのへんもフィーチャーしている。
Casa BRUTUS (カーサ・ブルータス) 2007年 09月号 [雑誌]
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ところで授業中小堀遠州の名前が出てきたとき、そういえば「遠州好み」という言い方がどこかであったなと思い業後に聞いてみた。ざっくりといえば「この人だったらこうつくるだろうな」という考えの下に生み出されたもののことを「好み」と言うようだ。つまり「好み」とは茶碗にも掛け軸にも花の生け方にも適応される。現代においては厳密な考証と類型化によって「好み」がある程度形骸化してしまっているようだが、もともとは規制とクリエイティヴィティとのせめぎあいによって起こる面白い行為だったんじゃないかと思う。現代だったら盗作とかパクリとかいわれそうだが、そんな単純に言い切れないものが「好み」という概念にはありそうだ。気になるのは「誰それの遠州好み」という言い方がされたのか。これ如何によっては「アノニマス・デザイン」にも通じそうだ。要チェック。