地球学校
もうひとつコンペ
崩れ落ちる極地の氷や、海水に浸かる南の島。わたしたちは今、温室効果ガスによる気候変動のショッキングな映像を、さまざまなメディアを通して知ることができます。地球学校は、ひとつには、世界のさまざまな場所に顕在する気候変動のサインを、直接体感し、目の当たりにする観察施設としてあります。そこでは同時に、日常の暮らしのなかでの気候の微細な変化を読み取る術や、五感を研ぎ澄まして感知することを学ぶことができるでしょう。
地球学校の具体的な敷地を地球上の任意の場所に設定し、そのあり方を提案してください。
とのこと。「もの」の提案よりも敷地の選択が問われているように思います。物理的な遠さによって見世物的に消費されざるを得ない「気候変動のサイン」を「直接体感」するためには当の変化が起こっている場所に身を置かないといけない。でもその「場所」って具体的にはどこなんだろうか。そして仮に「その場所」に身をおいたとき、ストレンジャーとしての「私」はどのようにしてその状態を「変化してる/したもの」と理解するのだろうか。そこにはなんらかの形でコミュニケーションが必要になってくるはず。
この前口上で「環境」という言葉の代わりに「気候」が繰り返し出てくること、そして「建築物」として提示しなさいではなく「地球学校のあり方」が問われていること、引いては「環境変化」を「知る」ということはいったいどういうことなのか、などに注意しながら考えてみたい。