アーキフォーラム


5月31日(土)のアーキフォーラム。ゲストは布野修司さん、テーマは「カンポンの世界」でした。
前回の森田さんレポはこっち


山田脩二、杉本俊多、三宅理一、陣内秀信など「おお」な名前が登場した前口上から終わりの時間まで、幅のひろーい話題を提供してくださった布野さんでした。逐一は追えなかったので箇条書きで気になったところを以下。

建築のこれから

  1. リノベーション―すでにあるものをどうにかする
  2. タウン・アーキテクト―自治体と住民とのパイプ役に徹する
  3. 日本をあきらめて、中国/インドに行く―これから総人口に対するアジアの人口比率が増大する


ちなみに「タウン・アーキテクト」というのは「町おこし」のために都市から地方に「逆出稼ぎ」するようなかつての建築家とは異なります。その土地に根ざし、住民の意見と自治体の意見とをバランスしていくような、「かかりつけの建築家」のような存在を指していると思われます。ただ一方で建築家にとっては「かた」(カーンの言う「FORM」みたいなものかな?)の提案こそが重要である、というお話もありました。立ち振る舞い方と、その中で忘れちゃいけないことの話。そして「本題」へ。

  • 「カンポン」のこと
    • インドネシア語で「ムラ」のことであり、compound(囲い地)の語源
    • 都心に成立し、物理的に閉じている
    • 屋台が極めて多いため、サービスを受けるためにわざわざ出歩く必要がない(=高度サービス社会?)
    • 権利関係が極めて複雑なため地上げがしづらく、コミュニティが維持されやすい
    • 住宅はまずコアのみを作って、余裕ができたら大きくしていく
  • 「カンポン」から学ぶこと
    • 「アーバン・インボリューションUrban Involution」
    • 「貧困の共有Shared Poverty」


「アーバン・インボリューション」というのは、人類学・社会学者アレクサンダー・ゴールデンワイザーによる、ゴシック建築が一定の形態へと到達(Evolution)した後に起こる内部空間の複雑化(これがInvolution)を説明するために使用した用語を、文化人類学者クリフォード・ギアツが「農業のインボリューション」という形で引用し、それがさらに都市的な文脈で展開されて登場した用語です(ややこしい)。


これに関してはちょっと理解がおぼついておりません。勉強せねば。

インボリューション―内に向かう発展 (ネットワークの社会科学)

インボリューション―内に向かう発展 (ネットワークの社会科学)


ようするに「インボリューション」とは「内向きの複雑化」と言い換えられるでしょうか。パイはすでに決定されているので、内側に細分化・複雑化していくこと。これ自体はおそらく中性的な概念でしょう。ただ都市的なレベルでのインボリューションを考えるとこうした否定的ストーリーが出てきます。つまり、ムラから都市への過剰な人口流入によって都市の過密化、スラム化、失業、公共サービスの破綻、などが起こる等。例えばある仕事に対して以前は5人の従事者がいましたが、現在その仕事に20人が従事しているとすると、その仕事は何人かずつのより細かい仕事として細分化されます。「貧困の共有」とはおそらくこうした状況を指しているように思います。


以下メモ。今回布野さんのお話では、「カンポンの世界」を「高度サービス化社会」と言い換えていたことから、「アーバン・インボリューション」に対して肯定的なのか否定的なのかちょっと分からなかった。事実「貧困の共有」を「ワークシェアリング」という形で語られていたのだが、この言い換えの「ココロ」は何か。そして都市的な文脈でインボリューションを考えた際、「決定されるパイ」とは具体的に何なのか。布野さんの話ぶりでは「労働」だと考えられそうだけど、これだけなのか。そしてインボリューションという概念は都市的な議論のなかでどれくらいの有効性があるのか。が気になった。まずはギアツの本取り寄せてみよう。