ケン・カルファスのこと
1954年にNYで生まれ、パリ、ダブリン、ベオグラード、そしてモスクワで育ったケン・カルファスのことなど。
- 作者: 柴田元幸
- 出版社/メーカー: 松柏社
- 発売日: 2006/06/01
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 22回
- この商品を含むブログ (32件) を見る
- 作者: 柴田元幸
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2006/12
- メディア: 単行本
- クリック: 5回
- この商品を含むブログ (47件) を見る
で、カルファスの「見えないショッピング・モール」(Invisible Malls)のはなし。いうまでもなくこれはイタロ・カルヴィーノによる『見えない都市』(Invisible City)のパロディだ。だからフビライ汗がマルコ・ポーロの物語りを聞くというフォーマットも一緒だし、語り-挿話-語りというリズムも一緒。ちなみに小見出しも「○○と△△」で一緒だったりする(細かい!)。具体的にはこんなかんじ。
- 語り
- 屋内ショッピング・モールと記憶1
- 屋内ショッピング・モールと欲望1
- 屋内ショッピング・モールと眠り1
- 屋内ショッピング・モールと欲望2
- 屋内ショッピング・モールと空1
- 屋内ショッピング・モールと欲望3
- 屋内ショッピング・モールと時間1
- 屋内ショッピング・モールと記憶2
- 屋内ショッピング・モールと死者1
- 語り
まあとにかくマルコ・ポーロがモールの話をしているという違和感がまず面白い。土地の賃借期間が云々、駐車場が云々、何が売られてて云々、天井の造作が云々。そしてさらに面白いのが、あくまでマルコ・ポーロの想像という設定を逆手にとっているところ。きわめて俗物的なものと、やけに神聖っぽいものとがごった煮にされていたりする。「アイスクリーム、ピザ、ポップコーン、タコスはもとより、神与の食物、枇杷、不老不死果などを、いずれもフライにして売っております。」
揚げちゃうらしい。
永遠の生をもたらす甘露(アムリタ)の十六オンス・カップを片手に、そしてホットドッグをもう一方の手にコンコースをそぞろ歩きながら…(中略)…合成樹脂のカウンターごしに漂ってくる脂まじりの湯気に包まれながら、次は何を食べようかと思案するのでございます。
最後の語りでフビライ汗が聞く。「これが余の帝国」か、と。つまりこれらが彼の臣民なのかと。マルコ・ポーロは否と答える。「モールは商品の棲み家であるにすぎません。」と。買い物客は何にも従属していない。「階下の帝国は静かなホールと商品棚であり、鍵のかかった陳列ケースと空っぽのレジなのでございます。」そして最後のオチはこうくる。
だが少なくとも、マルコ・ポーロがなぜあんなにたくさんクレジット・カードを持っているかはこれでよくわかった。
「本歌」通りフビライの支配を見るか、あるいはマネー・法・効率・人間工学が支配するリアルを見るか。ショッピング・モールにはもはやフビライ汗の玉座はない。最後にくる2人のズレは、物語全体に流れる奇異なリアリティをかつてのフォーマットから浮かび上がらせるのである。