エコにディテールを

ハウジング・フィジックスのはなし

ハウジング・フィジックス・デザイン・スタディーズ

ハウジング・フィジックス・デザイン・スタディーズ

ここで言われている「ハウジング・フィジックス」というのは建築における音、光、熱、湿度、室内気候といった物理的条件のことを指す。必ずしも最近流行のエコロジカルな建物のみを指すわけではないけれど、冷暖房を完備してどこでも均質な空間というマッチョな思想とは対極にある。そういう意味で結果的にはやはり環境との距離のとり方が重要なポイントになるわけで、環境志向的な側面は不可避的についてくる。なお、本書の構成は建築家がこれまでに建てた建築物を「ハウジング・フィジックス」の観点から解説し、専門家が所見を述べ、その後ディスカッションになだれ込むというものになっている。
ところで、この本を監修した小泉雅生氏も本書で言うようにどうもエコフレンドリーであるということは建築界であまり好まれていない。

  • 自由な発想の制約になるから
  • 写真に写らず伝達が困難だから
  • ポリティカルコレクトネスの香りがするから

というのが氏の述べる理由。本書はこうした「エコフレンドリー」というイメージに対する個々の建築家のスタンスをうかがうという意味でもなかなか興味深い内容になっている。案の定というか、大半は「環境派ではない」とまえおくのだけど。タイムリーにも今月号の『新建築』月評にて長谷川豪氏がエコ建築の無批判的「正しさ」への疑問を提示していた。興味深かったのは「カタログから選ぶだけで壁面緑化ができる」ということ。考えるまでもなく、「環境問題」に関するウソ/ホント本が引きもきらず出版されているように、大抵の人にとって環境のメカニズムはあまりにもわかりづらい。でもそれに取り組むことは徹底的に「正しい」とされている。多様なエレメントで空間を構成すること、そのシステムの構築を仕事としてきた建築家にとって、採用すれば必ず一定の理解を得られるこの謎多き大義名分は単純に「気持ち悪い」ものなのかもしれないと思う。

これは結構センシティブな問題だと思う。間違いなくこれから「エコフレンドリー」であることは必須であって、建築家が好むと好まざるとに関わらず求められる条件となってくる。ロボトミーと化した緑地を「エコフレンドリー」の名の下に選ぶ必要が出てくるかもしれない。問題はその選択に対して不可避的に付きまとう「正しさ」のほうだ。ここからは個人的な妄想だけれども、その「正しさ」が属するシステムには見切りをつけるべきだと思う。あるいはその強固なシステムに別のファクターを差し込むべきだ。わかりにくい抽象的な言い方になってしまうのだけど、いわばエコにディテールを与えることが必要なんじゃないかと思っている。