READ TANK実施
そして今日がREAD TANK当日
今日はいい天気だったのに冷えましたね
13時から15時半までの二時間半「Log」と「Volume」の紹介をしつつ、前にも挙げた「Volume」17号のIntroduction(Jeffrey Inaba)訳をみんなでチェックしました。なお、原文が以下のサイトで読めます。各号の序文に相当する文章は多分全部カバーされてます。
内容に関して言うと、コンテンツ管理がコンテンツの生産を不可避的に伴うこと、これを建築家のふるまいになぞらえるあたりがクリアになっておりません。建築家は、過剰過密を引き起こすことで、自らの職業に対する必要性を妥当なものにする。コンテンツマネージャーは、それらを監督するサービス業を必要とさせるほどの、重度の量と冗長性を生産する。そしてそのあとに、過剰渋滞のみが高速道路を正当化する、の文がきます。「the ones who supposedly give order to that infrastructure are the ones whose outflow also impacts it, challenging the infrastructure’s capacity to function efficiently」がそれ。
Who
- コールハースの描いたマンハッタンの建築家
- コンテンツマネージャー
How
- 過剰な過密を引き起こすことで
- 重度の量と冗長性を生産することで
What
- 自らの職業に対する必要性を妥当なものにする
- それらを監督するサービス業の存在に必然性を与える
Whoは、Howという一見「疑わしい」過程を経ながら、Whatをする。でも他方で、Whoがいなくなればいなくなったでまた問題がおきてくる。なぜなら彼らはあくまで過剰という問題を対処しているからだ。このへんのねじれを考えると、「そのインフラに手を下すとされている人々は、撤退することによってもまたそのインフラに影響を与える」わけであって、過剰渋滞を担保にしながら、「そのインフラが効果的に機能するだけのキャパシティを要求する」ということにはならないだろうか。と、こんな感じで考えている。