建築部レクチャー

新学期を向かえ新2年生を主体に建築部がリニューアルし、そのリニューアル後1回目のイベントとしてレクチャーを開いたのが13日。レクチャラーには非常勤で建築史とランドスケープの授業を受け持ってもらっている北岡慎也先生にきていただきました。参加人数は大体20人程度。

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「空間映像試論」をタイトルにしたレクチャーは、絵画空間と建築空間との関係性をテーマに美術史と建築史とを概観するというもの。メディアと建築との発展時間単位が比較的似ているのではないかという先生ご自身のメッセージを打ち出しつつも、建築に勉強時間の多くを費やしている参加者により食指を動かしてもらおうと幅広い作品の紹介も兼ねていただけたのは嬉しかった。ただ90分という制約があったため、1920年代の構成主義と絵画とのつながり(デ・ステイルあたりとか)という割と濃いところを省略せざるを得なかったところが残念。
最終的にケータイという新たなメディアを持った私たちが、それまでとはまったく異なった空間性に生きていることを指摘されてレクチャーは終了。クリムトの絵画を例に挙げながらお話があったとおり、絵画というひとつの画面上に配された同一のテクスチャーを「背景」と「チョーカー」というように異なった空間としてとらえるリテラシーを「近代人」は持ってきました。そして現代に至り、常にひとつの画面を携帯し、その限定的な面に生起する空間を静観するだけでなく親指で操作までする私たちにとって、体験するためには常にその場所にいることを要求する建築はあまりにも愚鈍かもしれない。あるいは「だからこそいい」のかもしれない。そもそも人間に対する想定の違いを意識しないほうがいいのかもしれない。
以前どこかで聞いた話だけど、ケータイでのメールはうざったいと、それまで50通100通も一日にケータイでやりとりをしていた人たちのなかには、ブログに今日の出来事を挙げ、互いに閲覧したりコメントしたりするようなコミュニケーションのモードへ引越しするようになった人もいるらしい。これは新しく「定着」のモードを選択したということにはならないでしょうか。メディアのモードチェンジのそのスパンがより短くなったとき、そこに生きる人々の生態を建築へと反映させることにどれだけの価値があるのかは考えていかないといけない問題だと思います。あるいはその反映すべき何物かが何物であるのかを探ることが望まれるのかも。

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懇親会は二条のおむら屋にて。毎度お世話になっております。新しく入部希望する方も交えて4時間ほどトークしました。また長居。