コーンスターチ

物心ついたころに見た一番大きな建物は、近所のコーンスターチ工場だった。何に使うのかよく分からない、とにかく巨大なタンクには黄色く縦長の化け物がニッコリ笑っている絵が描かれていた。気味の悪い巨大なタンクを含めた諸々の工場施設のなかに赤煉瓦の建物が紛れ込んでいた。

広大な敷地の一角を占めるその赤煉瓦の建物は、コーンスターチ工場に侵食されているようにも見えた。当時はその言葉の響きしかよく覚えていなかったコーンスターチなるものは、どうやらとうもろこしからつくられるデンプンであるということがそのうちにわかった。それからしばらく経った1994年、日本食品加工株式会社はその場所から撤退し、もろもろのダクトや、施設、コーンボーイが描かれた巨大なタンクなどがそこから撤去され、最終的には赤煉瓦の建物だけが残った。思っていたより赤煉瓦の建物は小さかった。むしろそれ以外の敷地が広大すぎた。市はこの赤煉瓦を含む約1万坪の用地を日本食品加工株式会社から買った。コーンスターチ会社はその創業の地を離れることになった。

コーンスターチ工場以前、その建物はカブトビールの工場だった。戦中は飛行機工場の倉庫だった。僕にとっての赤煉瓦の過去はここまでだったのだが、どうやらそれ以前には丸三麦酒醸造工場として使われていたらしい。どのみちビール工場だった。名前が変わっただけだった。竣工は1898年。今年で111年目。ビール工場時代には存在していたいくつかの棟が何らかの理由で欠け、今ではずいぶんと縮小してしまったが、コーンスターチ工場が撤退した後の1994年以降、赤煉瓦はまったくそのままで残っている。表面についた傷もそのままだ。1万坪の敷地から赤煉瓦分を引いた残りの広大な土地は、その後グラウンドになり、しばらくして住宅展示場になった。長い時間使い続けられてきた建物と、短いスパンで消えては生まれる建物とが隣り合っている。

この建物の設計者は、いま横浜赤レンガ倉庫と呼ばれている新港埠頭保税倉庫の設計者でもあった。官庁建築にこだわり、大蔵省で施設建築に携わった妻木頼黄がその人だ。この物件は1992年に市が国から取得し、5年以上をかけて保存改修工事がなされ、2000万もの人が訪れた観光地となっている。そして門司港にも彼の設計した税関がある。こちらも1994年に保存改修が済み、今では展示場として使われている。

翻って、住宅展示場の隣にある、出自が民間のあの赤煉瓦は、いまや一般公開日にしか内部を見られない。残念だけれども、この措置が必ずしも間違いだとは思わない。ちなみにちょうど明日から5日までが当の特別一般公開日になっている。ということで行ってきます。