ブックガイドのための悪いガイド

建築・都市ブックガイド21世紀 (建築文化シナジー)

建築・都市ブックガイド21世紀 (建築文化シナジー)

例えば読んだ本をすすめるときに、伝えるべきことはいくつもある。

  • 何が書かれているか
  • 何が問題とされているか
  • 著者はどのような人か
  • どのような背景で書かれたか
  • 誰を対象としているのか
  • 今どのように読むべきか
  • 何が面白いのか


わざとかそうでないかは分からないが、このブックガイドはそのなかでも「何が書かれているか」に多くのウェイトが占められている、ようにかんじられる。ガイドが何人かいるので個々人によってそのバランスは違う。もちろん上のポイントをすべて網羅すればよいブックガイドだというわけではない。


問われるべきことがらは時代や状況によっても変わるし、そのなかでどのように読むべきかを一意的に押し付けるようなことはするべきじゃないかもしれない。何が面白いのかも読み手によって違う。だからガイドは「予告編」くらいのものにして、つづきは原著で、ということにもできる。そういう意味で、ブックガイドから何を得るかは個々人のガイドされる側にゆだねればいい。のだけれど、やはり一定量の著作を選択しているという恣意性はあり、その責任をこのブックガイドはどうやって引き受けているのだろう?


ある一定の著作を選択したことに対する説得力と、扱う個々の本がどのような本であるのか(何が書いてあるのかではなく)いかに解釈するかはひとつの問題だと思う。ただそれ故の弊害もある。どのような本であるのかを語る説明の仕方は、読み手をなんとなく分かったような気にさせてしまうことがある。この本はもしかすると意図的にそれを避けたのかもしれない。でもそうなると、個別「ガイド」のバランスに関するバランスの悪さが説明しづらいとも言える。


だから悪い書評だという誹りを恐れずに言っちゃうと、このブックガイドを読みながら、このガイドさんたちが一体どんな人を、どこにガイドしようとしているのかを考えながら読むのがよいのではないかと思う。