夢のマイホーム


「夢」と「神話」のマイホーム。

ゴミ投資家のための人生設計入門、を読む。人生の八割は土台。人が自由にできるのは、その上の二割だけで、この本はその二割にはとんと興味がない。人生の八割の土台の、とりわけ経済的な部分、それも不動産と保険という重要な部分への考察を通して私たちの蒙を開いてくれる一冊。不動産は買うがよいか借りるがよいか、現在の不動産市場において土地とうわものを買うということはどういうことなのか、なぜ借りるという選択肢がよくないと思われているのかなど。すむための不動産入手は投資ではないかもしれないが、その観点から見てはじめて見えてくる事実も確かにあり、それを受け止めた上でことにのぞむことがよいと、少なくとも個人的には、感じた。ゴミでも投資家でもない、なるつもりもない、と思われている人にもおすすめ。(参照


これはこの本を読んで書いたこと。



不動産は借りる方が賢い、ということをこの本は言っている。「神話に惑わされず、賢い選択をしよう」という啓蒙の構図がここにはある。「賢い」というのは経済的合理的がある、ということだ。別のところでも似たようなことが言われている(ウェブサイトでも雑誌でも新書でも)。みんなだんだん家は買うより借りた方がいいということを思いはじめている。バブルも終わって土地の値段も前ほどは上がらないし、それに伴ってマイホーム神話も解体した。と、見えるようにも思える。資産価値のレベルで「神話」は確かに崩壊したかもしれないが、いまだその「夢」の方は健在のような気もする。


「賢い」ことを言う本は家を買うことが借りるよりもコストが高いことを説明してくれはするが、なぜ人が家を欲しいと思うのかを説明してくれない。マイホーム神話に犯されていたから、マイホームという夢にうなされているから、くらいのことしか言われない。そして「早く脱却せよ」とくる。でも本当か?


彼らは家を買うという選択が高くつくことを織り込み済みで、それにもかかわらずマイホームを求めるんじゃないか?早々に目を覚まして抜け出すものとして「夢」の比喩はぴったりだが、その比喩に納得してしまうと、なぜそれが夢としてありうるのか、とか、どのような夢なのか、とかを説明できない。「にもかかわらずマイホーム」的欲望の構造に興味がある。「賢くあれ!」の大合唱では、なぜ人はマイホームを求め、しかもその求める家がなぜ適度に人と同じで、なぜ微妙に違うのか、そういうことまで想像力が働いていかないのではないか。とか考えている。