土地の神話

田園調布はE・ハワード「田園都市」(参照:「プロジェクト杉田玄白」より『明日の田園都市』山形浩生訳)を元にしている。ということを知ったときに、なぜ他の都市で「田園都市構想」は実現しているのかどうか、もし実現していないならなぜか、しているならどうなのかということを思った。本書はこの疑問に答えてくれる。そして、その問いへと向き合う中で、日本における「土地」の問題が浮かび上がってくる。この本は都市への理念がどのように不動産的欲望に絡めとられていくのかを語ったものである。


日本の近代 猪瀬直樹著作集6 土地の神話 (第6巻)

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日本版田園都市構想がどんなプレイヤーによって推進され「逸脱」させられたのかが第一章。具体的にその「逸脱」とは鉄道敷設構想であるのだが、その推進者五島慶太が発明した不動産業の原型について第二章。一方で本家英国で田園都市構想がどのような来歴をたどったのか、そして日本への「翻訳」がどのようなものであったのかが第三章。これらのストーリーは理想と現実がどのようにズレたのか、ということを推進力にして進む。背筋が伸びるほど緻密で粘り強いリサーチに裏付けられた記述はミステリのようであり、「学問のように調べ、小説のように書く」と藤森氏が解題で語るのも十分すぎる程に納得する。


さて。田園都市という構想とその帰結に関する英国と日本との違いは「思想」が生き残ったか否か、ということになっている。英国版田園都市株式会社は外圧にも屈せず公社という形をとりながら(少なくとも本書刊行当初は)現存し、ゆえに田園都市の理念もなんとか生きている。興味深いのは、1900年代初頭にあたる日本への「翻訳」において参照されたテキストがハワード本人のモノではなく、彼の理念をグッと実用的にしたA・R・セネットという人による工学的、施設的な色の濃いバージョンだったということ。まさにこの国が一丸となって「近代化」に燃える時代に日本の「建築家」は生まれた。こうした状況を背景にした東秀紀さんの辰野伝を参照すると「この」バージョンの選択が分かるようでもある。当時の日本にとって最大の理念は「近代化」であって、そこにまた別の理念が入り込む余地が果たしてあったのか。


ときに建築家の話を出したが、この本の中では建築家は出てこない。都市計画家も出てこない。都市を左右する役割は「不動産屋」に委ねられている。もちろん個別のデザインを操作する者として建築家や都市計画家の存在はあったろうが、にも関わらず彼らがここに出てこないということはつまり、「また別のレイヤー」へと光があてられているということだろう。だからこの本は田園都市がどのようなデザインであったのかを十全には語っていないし、これをもって田園都市構想は無効だというのはちょっとアンフェアじゃないか。むしろその理念的構想がリトマス試験紙となって、「また別のデザイン」がどのようなものになっているのか、を本書は描き出している。それがつまり現在では誰も疑い得ない日本の土地の問題であり、田園都市構想とともにあった不動産業「原初」の物語なのだ。そう言う意味でこの本は土地神話についての本でもあり、本書自身がひとつの神話を語っているようにも感じられる。