団地を考えるとき考えること

ここでは、前回の田園都市の話からそれを元にした日本のニュータウンの話へと飛びます。ニュータウンと団地ってどう違うんだろうか、というちょっとした疑問から、ニュータウン(越しの田園都市)批判を少し紹介し、それに対する応答と、にも関わらず残らざるを得ない事実を挙げつつ、ニュータウン/団地を考えるとき何が考えられるのかを少し整理。


滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四

この本の話は下のほうでしていますよ


まずWikipediaから「日本のニュータウン」の項を引用。

今日の日本では、元の意味から離れて、都市の郊外に新規に開発される住宅地のことを「ニュータウン」と呼ぶことが多い。 他に学園都市に類する都市もニュータウンと呼ばれることがある。


で、「団地」の項にはこうある。

団地(だんち)は、人間および生産業などが必要とする各種インフラおよび物流の効率化を図るために、目的・用途が近似する産業および住宅などを集中させた一団の区画もしくは地域の名称、または立地している建物および建造物を指す総称である。団地の語源は、「一団の土地」若しくは「一団の地域」。


ニュータウンというのが「都市の郊外に新規に開発される住宅地」の作り方の話であるとするならば、団地もニュータウンに含まれうることになりはしないか。「ニュータウン」も「団地」もどちらも1950年年代に日本に実現しはじめる。そしてその陰には「田園都市」がある。


英国版田園都市株式会社を「そのまま」日本へと移設しようとした渋沢らの田園都市株式会社が1916年。ニュータウン/団地が戦後日本の住宅難に対応したものである、と推測すると、この二者の違いはそのあたりになってくるのではないだろうか。であるならば、様々な差異が存在するだろうニュータウン/団地において共通することは、何らかの問題を解決するためにこれらは存在した、ということだろう。じゃあそれってなんだろう?

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ときに、ハワードの訳をした山形さんのあとがきから。
http://www.genpaku.org/gardencity/gardencityj.html#transnote

世界中のニュータウンでまず問題となったのは、ゆとりをもって計画しすぎたあまり、特に初期の段階ではスカスカで荒涼として、あまりに密度が低くてゴーストタウンみたいだ、ということだった。その状態が続くうちに、犯罪や各種の蛮行が出現しやすくなる。広すぎて密度が低すぎるので、みんなの目が届かないせいだ。また、コミュニティが形成されるのには時間がかかる。


逆に言えば、ここで問題とされたのは大量住宅供給における都市の過密問題やスラム化という問題をどう解決するのか、ということだったのだろう。ニュータウン/団地が爆発的に流布したのはこうした状況に対する当時ベストな解答だとされたからだ。そういう意味で、上のような後年からの批判、それもニュータウン越しのハワード田園都市構想への批判は本当に適切なんだろうか。つまり、それ以外に大量住居共有を行うのにどんな方法があったのかをまず考えないと、ということ。これがおおよそ山形さんのハワード批判への批判。でも

そして、予測しきれなかった部分も出てくる。大規模に開発して、同じような価格で同じような家を売りに出したら、買い手も似たりよったり。それが変なご近所ライバル意識を創り出し(中略)みんないっせいに子供が小学校に入り、いっせいに中学、高校、と移り変わる。みんなが高校にいく頃には、小学校はもう余ってしまう。そしていま、住民たちがいっせいに高齢化して頭を抱えているところは多い。


山形さんの批判はハワード批判としてとても正当なものだ。でも一方で、ニュータウン/団地がもたらす物理的状態がそこに住まう人びとのふるまいや精神に少なからず影響を与えているということは事実だろう。「みんながいっせいに」という時のその「みんな」が具現化されやすく、それが具体的にどのような排除のメカニズムへと接続していったのかを描いたのが、重松清さんとの共著『団地の時代』について以前少し書いた原武史さんの『滝山コミューン1974』だった。この物語において舞台となるのはニュータウン/団地だっだわけだが(実際的な分析は教育制度のレベルに多く割かれているように感じた)「みんな」を物理的に囲い込むという実際性こそがここでは問題であり、「コミューン」はまた別の可能な舞台を待っているとも言える。これは単なるニュータウン/団地批判ではないのだ。

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ということで、以下羅列になるが、ニュータウン/団地を考えるとき考えられることとしてこんなところがあがるだろうか。ニュータウンと団地とにはどのような差異があるのかの層、ニュータウン/団地が何を解決しようとして生み出されたのかの層、それに田園都市という理念がどう影響を与えたのかという層、それがどのように外国へと翻訳されたかの層、それを背景にした具体的デザインがどうあったかという層、その実現の際にどのような問題が生み出されたのかの層、ならびにそれがどのような住まい手の振る舞いを生み出したのかの層。一旦生み出された「みんな」に対してこれから先どうつきあっていくのかの層。こうした問題はごちゃごちゃにならないように気をつけないと、結局表層的なレベルで話が終わってしまいそう。『団地の時代』は、そうしたニュータウン/団地という問題圏の振れ幅の広さを語っていたのだった。