建築のリサーチとは何か


とうとつにややこしい話をします。


「建築のリサーチとはなんだろうか」と、いうことを考えてみる。まず「リサーチ」というのは調査のことなので、「情報を集めること」である。とWikipediaから引用してみたが、それにしてもその答え方はあまりにも多すぎるだろうと思う。質問があまりよくないのではないか、と思うので、これを「建築とリサーチとがどのような関係にあるのか」という聞き方に変えてみる。と、「建築のためのリサーチ」と「建築にまつわるリサーチ」と「建築を通じたリサーチ」という、とりあえず三つの答え方がある。


「建築のためのリサーチ」とは何か。それは端的に言えば「デザインの正当化」である。一方で、「建築にまつわるリサーチ」と「建築を通じたリサーチ」に関しては、「それが何か」を尋ねても、答えづらい。聞き方を変えて「それに何ができるか」を尋ねてみよう。「まつわるリサーチ」には、例えば「建築をとりまく条件の可視化」ができる。「この建物を建てるに当たってどのような法的、経済的、規範的(などの)制限があるのだろうか」といった具合。他方、「通じたリサーチ」によって、例えば「それが生み出される/されてきた社会がどのようなものか」が見えてくる。「このような建物(群)が配置される/されてきたことでどの程度社会的、経済的、文化的、環境的(などの)効果があるのか」を考えるときを想像している。


まとめます

  • 建築のリサーチとはなにか?
    • 建築とリサーチとの関係とはどのようなものか?
      • 建築のためのリサーチ:デザインの正当化
      • 建築にまつわるリサーチ:例えば、条件の可視化ができる
      • 建築を通じたリサーチ:例えば、状況の可視化ができる


「建築のリサーチ」を考えるにあたって、「建築のためのリサーチ」しか考えていないと、「集めたデータをどのようにデザインへと反映させ(るのか自分は?)たのか彼は?」ということにばかり目がいくはずだ。でもその問答に果たして建設的な意義はあるのだろうか。一方で、「まつわる/通じたリサーチ」にまで目がいけば、そのリサーチによって「現実の一断面図」が獲得できる。「一」というのは「ために」である限りにおいて「誰かや何かにとって」という限定がつくからである。というわけで、個人的には「建築のリサーチとは何か」というひとつの答え方として、「現実を解釈すること」というのがよいかもしれないなと思った。