PEACE FIGHT by Arjen Oosterman前半


Volumeの26号「Architecture of Peace」の序文、エージェン・オースターマンによる「ピース・ファイト」。まえ「建築の社会的な」ナントカと書いたが、この文章はそのテーマについて建築の歴史をひも解きながら、すこしヒントをくれているみたいに読める。建築における社会的な役割という考えは割と最近のものだ。やはりそうか。じゃあ19世紀や20世紀、かつての時代にそれらしきものは、どのようにあって、どのような背景のもとにどうとらえられたんだろうか。そんなことがまず前半部で書かれている。


まず前半

平和の戦い
エージェン・オースターマン


哲学者でなくたって、「平和は闘争だ」ということくらい分かる。さらに一歩進めてこう言う人もいる。「平和は戦争だ」と。戦争と平和は対立するものであり、共生するものでもある。だからこう思わせもする。「戦争のない世界なんてあり得るんだろうか」と。他にもっとポジティブな言い方がないかと思うが、例えば平和は戦争の不在と定義されるとしたら、戦争は平和にとって不可欠な構成要素ということになる。


幸運にも建築家はこの難問を解かなくていい。なぜなら彼らはよき目的のために頑張るからだ。つまり、手助けとなるためにいる、ということだ。建築は何か有益なものを与え、状況をよくするものだとされている。違う? 問題がどこかにある、そしてそれは簡単に解けるものじゃない。ときに、こうした社会的役割は建築において割と最近展開されたものである、ということを思い出してみるといいだろう。19世紀の中頃まで、建築の公共的な役割はひとつのコミュニケーションだった。個人の、あるいは、ある党派の立場を伝え、確認し、あるいは確立する、という具合に。もし建築が公共領域や広い意味での社会へと与えられるとしたら、それはギフト、つまり親切さだとか慈善だとかのデモンストレーションだった。それはヒエラルキー的、政治的なものであって、良心からくるものじゃなかったのだ。


20世紀は人類史上最も暴力的な時代だったかもしれない。よき建築は、コミュニケーションすること、与えること、手助けすること、解決すること以上のことを求められ、排他的にひとりのクライアントの関心に仕えた。だから教育し、変え、向上する必要があった。特定の種の建築や特定の方法でのデザインに道徳的優位性があり、そのような立場があることはわざわざ説明を要さないのであって、その世紀を通して問題にされることなんて無かった。かといって、建築家は正しい方向に競うことを妨げられたわけじゃない。でもその競争がそこにある根本的な原理へと影響を与えたわけでもない。その「パラダイム」は、建築にまつわる立場についてのイデオロギー的明快さがぼやけてしまう最後の世紀の終わりに、独占体制を失った。建築はもはや「未来」の名の下に何かなすことをやめ、もう何がベストなんだか分からない。そのベストの状態で建築は、控えめにあるいは大げさに、ここそこの問題や解くべきことがらを解こうとした。何よりもまず建築は仕えようとしたわけだ。コマーシャル(悪!)と関与(善!)の建築という古きよき区分でさえその輝きを失った。ディベロッパーは建築家の親友であり、私たちは彼や彼女のガッツや見通しを尊敬している。そして忘れちゃいけないユーザーは、もはやディスプレーに並ぶものなら何でも買うというような従順な消費者じゃない! 建築は、何が言われているのかを聞き、繰り返さなければならない。20世紀の終わりには、アジェンダなき建築は過去の対立やパラドックスに対する回答となった。


後半へ