訳
Transnational Spaces Regina Bittner, Wilfried Hackenbroich, Kai V〓¶ckle 「volume」誌の第3号に掲載された「Transnational Spaces」という記事の一部。ここでは東側諸国とトルコ間における国境を超えた繊維売買ネットワークのハブとなったイスタンブー…
前編はこちら これまでの「老いたあとどうするか」モデルに対して「現象としての老いをどうするか」モデルがここで具体的に問題とされている。まず前者。働いている人にとって老いた家族の面倒は負担であり、そうした生産の抑制となりかねない義務から家族単…
Volume第27号は「エイジング」特集。ぱっと聞くと「保存問題」とか「古びの美学」とかいったトピックが思い当たるが、この序文の旨はさにあらず。さっくり言うと僕らが生きる社会にある解かれるべき諸問題のひとつの根っことして「老化」があるんじゃないの…
その2はこちら マティユー: 私たちが今まで話してきた問題は、実に多く私の作品に表れている。話してきたとおり、私は自らの作品をかたちの問い直しからなるものとして見ている。でもここでもう一度、私を導いてくれるひとつのシンプルな問いを立ててみよう…
その1はこちら マティユー: 特定のディベロッパーモデルが持つスケールを変えることは視座を変えることであり、それに疑問を持つことだ。あたかも拡大鏡を通して見ているかのようにね。住宅に関するその考えは、公共空間もそうだが、住まうことや建築につい…
マチュー・メルシエの作品を見たのは、いまのところ「SuperWindowProject」、「Muzz」、そして「森美術館」(フレンチ・ウィンドウ展)にて。美術史へのリファレンスはもちろん、建築への目配せがちらほらと見えるところが興味深い。彼にとっての「建築的」…
Volume#25 Getting there, Being here その2から エージェン・オースターマンによる序文。このテキストで言われていることは、ここで問いたいことは「月における建築とはどのようなものか?」ということだけじゃないんだ、ということだろう。つまり、社会的…
Volume#25 Getting there, Being here その1より 「NASAの創設から50年が経ち、私たちのゴールはもはや到達すべき目的地のことだけではなくなった。私たちのゴールは、地球を超え、より長い時間、究極的にはよりサステイナブルかつ制限のない方法で、働き、…
Volume#25 Getting there, Being here オン・ザ・ムーン エージェン・オースターマン いまだかつて人が月に足を踏み入れたことはない。と、いまだに信じている者もいるにはいる。そういう人はショックを受けて(きっとまた受けることになる)いることだろう…
前半より 後半。このテキストは、必ずしも紛争やその後に焦点を置いているだけじゃなくて、社会的混乱があり/そこからゆっくりと復興をとげ/再建を始めようという段階的な状況の中で、建築家にどのようなことがなせるのか、ということを述べているようにも…
Volumeの26号「Architecture of Peace」の序文、エージェン・オースターマンによる「ピース・ファイト」。まえ「建築の社会的な」ナントカと書いたが、この文章はそのテーマについて建築の歴史をひも解きながら、すこしヒントをくれているみたいに読める。建…
その3より ラスト。メッセージとしては「ブロードキャストという観点から新たなアジェンダを設定してみよう」というささやかなものになっている。でもここでポイントとなるのはブロードキャスティングがもたらす「パブリックなコミュニケーション」を問題と…
その2より そしてこの論考のねらいのくだりへ。前回ブロードキャストという言葉を説明するなかで「建てることのみならず建築が不特定多数の人に、いわば不可避的に伝わってしまう」ことがあると言った。建築が、建築家の意図に関わらず、引き受けざるを得な…
1より さて、本題へ。ここで言う「Broadcasting」というのは、テレビ放送のことだけではなく、ファッション写真の背景になってある雰囲気を作り出したり、お金に印刷されて紙幣価値を支えていたり、PVの舞台になって人の目に入っていたりと、かなり広い意味…
ジェフリー・イナバ(Jeffrey Inaba)フェリシティ・D・スコット(Felicity D. Scott)、ナダール・ナントカ(Nadar Vossoughia)による「ブロードキャスティング・アーキテクチャー・C-LAB・ケースファイル」 マイケル・クーボ氏は「出版の実践」の最後で「…
2から続く 最後の部。分野に存在する者にとっての欲望の的となるカノン性と、その分野との関係性を考えるにあたり、一度建築をdiciplineではなくfieldとして考えてみたらどうだろう、という提案が来る。ここでいう「field」というのは、建築にまつわる言説、…
1から続く 今回、この2分の3部で件の「三区分」がすべて紹介される。 マニフェスト:議論を呼びそうな理論的ステイトメントの組み立てによってアジェンダを生み出す モノグラフ:作品の集合を、実践の中で練り上げられるアジェンダひと組みへと組み立てるこ…
参照 本文 インタビュー その他 展覧会の画像 - この文章は、マイケル・クーボ氏が企画したリサーチ(&展覧会?)「出版の実践」の紹介文である。20世紀に行われた建築について考えるとき、建築家による書籍出版プロジェクトは欠かせない。そこで「影響が大…
「1960年代を再訪する/Revisiting the 1960s」―Lara Schrijver『Radical Games』序文の続き。3分の3。2はこちら。 ある意味、1960年代は独特のポジションを占めている。モダニズムのラディカルな批評が提示され、大西洋の向こう側にある緒世界では民主化を…
1960年代を再訪する/Revisiting the 1960s―Lara Schrijver『Radical Games』序文の続き。3分の2。1はこちら。 ときに、建築的介入の負っていた責任が過剰だったのかというと、そういうわけでもなさそうだ。論争を呼んだ「建築か、さまなくば革命か」という…
Radical Games: Popping the Bubble of 1960's Architecture作者: Lara Schrijver出版社/メーカー: Nai Uitgevers Pub発売日: 2010/06/30メディア: ペーパーバック クリック: 1回この商品を含むブログを見るタイトルは『ラディカル・ゲームズ―1960年代建築の…
volume9号「Suburbia after the crash」特集より。「郊外」のおこりについて。ちなみにこの「グレイ・グーGrey Goo」には「くらい未来」くらいの意味もあるらしくて、「ナノテクノロジーの進歩により人間の管理を超え自己増殖を図るナノロボットがねずみ算式…
前半はこちら ジェームス・C・スコットインタビュー後半。社会設計という大きなレベルの前半部に対し、後半部からは都市や生活といったより身近な話へ。プロ・ジェイコブスの分かりやすい「界隈」擁護だけ読んで溜飲を下げるのではなく、その後の「スコット…
「Engineering Society」特集のVolume16号(この号の序文「Planning Paradise(楽園を計画する)」の日本語化はこちら)に掲載されているジェームズ・C・スコットへのインタビュー。JCS(James C. Scott)は1936年12月2日生まれのアメリカの政治学者、人類学…
前半 後半 - 拙い訳にさぞやうんざりされたことかと思う(ごめんなさい)が、カウンターカルチャーをスタート地点にしたこの話は一貫して「what if」から「yes, but」という姿勢への変遷が語られていたのだった。言い換えると、「過去から断絶するモデル」へ…
前半はこちら - カウンターカルチャーにおけるドラッグの使用を論じた文章からなんでこんな話になったのか。そのときのポイントは、ドラッグの使用、つまり個人個人の内側へともぐりこんでいく内省の流行は、外側から押し付けられる規制(例えば、人を人とし…
前回「ニューロポリティックス」を参照にして二つの「共同体」を見た。「大地へ帰れ」運動のような共有ベースと、まさにその文章で語られていたドラッグの使用を通した内省ベース。この二つ。前回の話のポイントは、後者がある支配的ロジックへのカウンター…
volume#24は「技術」「環境」(参照:Volume#24 Expanding Environmentalism)「コミュニティ」の三部に分かれていて、今回は「コミュニティ」部にまつわるC-Labによるテキスト「ニューロポリティックス」を読んでいる。READTANKで取り上げるのが先になりそ…
次回READTANKでその序文を読む(予定の)ヴォリューム24号「カウンターカルチャー」特集は三部に分かれていて、「技術」「環境」「コミュニティ」がそれぞれのテーマになっている。各部にはC-Labによる概説が掲載されており、「Expanding Environmentalism」…
建築にとって、なぜストーリーが重要なんだろうか、そしてなんでこの雑誌にローゼンさんのインタビューが載ったんだろうか、ということを少し。まずジェフリー・イナバ氏の序文(参照)から「ストーリー」って何かについて。 建築案の礎を築くがために、建築…