PEACE FIGHT by Arjen Oosterman後半


前半より


後半。このテキストは、必ずしも紛争やその後に焦点を置いているだけじゃなくて、社会的混乱があり/そこからゆっくりと復興をとげ/再建を始めようという段階的な状況の中で、建築家にどのようなことがなせるのか、ということを述べているようにも読めるような気がする。下のダイアグラムの横軸を三つに切る区分はこの段階的変化のことを示しているし、このシンプルだけどうなづける図自体が考えるためのきっかけを作ってくれる。


答えはいくぶん控えめ。社会の質は排他ではなく包摂の能力によって測られるんじゃない?「面倒を見ること」が人間のなすべきことでは?。こうした仮定に立てば、建築がどんな貢献をなせるのか知るのによいスタートを切ることができるだろう、と言う。建築がさらなるいさかいのタネになることなく、いかに手助けになるのかを考えよう、ということだ。そんなの当然だ、と思う人もいるかもしれない。でも、ラストに来る「地獄への道は善意で敷き詰められている」というヨーロッパの昔からあることわざはシビアに響く。


本文

もしそれが現在のリアリティならば、建築家はいかにして紛争後の地域で何かすることを考え始めることができるんだろう? どうやって見知らぬ文化やしばしば強く政治的な状況に対処すればよいのか? こうした問いは、建築家が自国やその文化のあらゆる種の問題について責め苛まれて以来、より切迫したものになっている。都市社会的混乱? 建築家のせいだ。隔離? それも建築家のせい。人口的デメリット? 建築家が悪いんだから奴らがつくったものはぶっ壊せ。社会的な緊張に対して、建築家を責めることは簡単だ。建築家はこれを気にしていて、真面目にとらえている、ということはよい知らせと言えるかも。でも、建築がネガティヴなインパクトを持ちうるとするならば、逆のオプションもまた然りじゃないの?


これは間違った議論だと言われるかもしれない。建築家は自分たちで馬鹿げた野心を持つべきじゃない、と。しかし、紛争状況やその後に行われる義理立ての訪問duty callこそ、しばらく私たちが付き合っていくリアリティであるとき、人は何をするというんだろう? この解くべきことがらにまつわる「対立マップ」を見ていれば、その数はこの世紀の終わりには劇的に増えていくだろう。そしていまだ変化の兆しなし。ぶっきらぼうに言いなおすと、なすべきことの多い成長市場だということなのだ。でもどうやってやろうか? もし私たちが少しの間次ページのダイアグラム(訳註:下のダイアグラム)が示すいくつかの食い違いを忘れるとするなら、いくらか常識的なアドバイスがでてくる。「すべきでない」ことがらがたくさんあるぞ、ということだとか。それは解くべきことがらや明快な経験則などを通して見つけられるだろう。勇気がいることだし、保証はないし、この先にはよりがっかりさせられることもある。でも私たちが真剣にこのグローバルなコミュニティをとらえ、社会の質が排他ではなく包摂の能力によって測られ、そして「面倒を見ること」が人間のなすべきこととされるならば、私たちは建築がどのような貢献をなせるのか知るのによいスタートを切ることができる。とりわけいかにして建築がよりいっそうの対立、新たな対立を導入することなく誰かや何かの手助けにとなるのか、ということを。


縦軸が「サポートレベル」、横軸が「時間」。横軸は三分割されていて、左から「緊急援助」「復興」「再建」期となっている。復興期に盛り上がり再建期に減っていくラインは「メディアや支援」で、緊急援助期の高い位置から復興期に下がり再建期に盛り上がるのは「キャパシティ」で、右肩上がりにじわじわ上がるのが「支援の必要性」となる。


この問題は、今年の初頭に行った私たちのカンファレンスによっている。二日間のシンポジウム「どのように平和を実現するか how do we materialize peace」(NAI, Rotterdam May 2010)はポストコンフリクトの再建という領域における建築の潜在力を探究するためのキックオフとなった。第二のカンファレンスは2011年の終わりに予定されている。気づき、よき実践、そして知への挑戦すべて、ルールを導くものとしての実用主義的プロジェクトの一部であって、これは重要なことでもある。なぜなら地獄への道は善意で敷き詰められているからだ。