タウンアーキテクトについてのインタビュー


週末、「タウンとアーキテクト」にまつわるインタビュープログラム「QueryCruise3」のために布野修司さんにインタビューする予定。「タウンアーキテクト」についておうかがいする。そのためのメモもかねて。


裸の建築家―タウンアーキテクト論序説 (建築ライブラリー)

裸の建築家―タウンアーキテクト論序説 (建築ライブラリー)


2008年アーキフォーラム「カンポンの世界」のときにも「タウンアーキテクト」のお話をされていた布野さんではあるが、氏が2000年に上梓された『裸の建築家―タウンアーキテクト論序説』では、日本における建築家の制度的な脆弱さを指摘し、日本の都市計画やまちづくりに対する建築家の関わり方を通時的かつ共時的に概説しながら、これから先建築家がとるべきひとつの理念的モデルとして、地域への根ざす「タウンアーキテクト」のあり方を提示されていた。この本では、「序説」の名が示す通り、いわば「これから先の建築家はどうありうる/あるべきか?」という話がされている。


ちなみに、最近では2011年建築座視4月号にも以下のタイトルで布野さんは論考を寄せている。


ここで言われている「アーキテクト・ビルダー」と「タウンアーキテクト」は、1980年代に布野さんらが立ち上げた「HPU(ハウジング計画ユニオン)」でさかんに議論されていた新たな建築家の職能にかかわるモデルである。HPUという団体の背景には、近代的な建築生産システムによって見失われた建築の全体性にどうアプローチするのか、という問題意識がある。この論考はその問題意識の延長上に行われた大野のセキスイハイムM1や、石山のコルゲート住宅やダムダン、渡辺の標準住宅001といった建築の試みや、その他地域づくりの実践を概説するものとなっている。なお、個人的に焦点化したい「タウンアーキテクト」については冒頭に挙げた書籍への参照があるが、それほど紙幅を費やされているわけではない。


当該書籍出版から10年以上の年月が経て、具体的な集団の設立や他主体による様々な活動を通して、そのモデルの可能性や問題点も浮かび上がってきているのではないだろうか。建築学会内には「サステイナブル・エリア・デザインとコミュニティ・アーキテクト特別研究委員会」のような委員会が存在するが、制度的にその職能を位置づけようとする試みだけではなく、例えば「京都コミュニティ・デザイン・リーグ」 「京町家作事組」「神楽岡工作公司」といったネットワークも京都には(滋賀だと「近江環人」など)存在しているわけだし、もう少し日常的に行われている小さな動きにまで目を配ることで見えてくるものもあるのでは。ということで、今回はまず「タウンアーキテクト」をどのような存在として想定されていた/るのかを語っていただき、その後、そのテーマのもとに「行ったこと」について、そして行われたことをどう見ているかあたりをうかがいたいと考えている。