X marks the spotの読書会。彼の問題系は空間と場所の結びつきとしての「場所」にある。要するに両者どちらでもなく、その結びつきをトポロジカルに論じている。そしてこの前提としての「空間」が時間的にどうとらえられるかがポイントになる。その上で彼は犯行現場の例を引く。例えば氷の中で最期を遂げ、自身でマークの役割を受け持つ「ギャングの死体写真」。この例ではマークの持つ「かりそめ」の性格が、土地の性質に付随して一般的になるという不安定さをほのめかしている。

その文脈の延長にコンコルド広場へのオベリスク移動の例を読むことができる。つまりマークとしてのオベリスクコンコルド広場へと移動する際に、かつての象徴性、あるいは時間としての歴史性を失う。しかしコンコルド広場自体の歴史へと参入することで可能的解釈の発端となる。これは未来への志向性を示しているといっていいだろう。ここでもヴィドラーはコンコルド広場とオベリスクの結びつきという「場所」を問題とする。ここでの「場所」とは解釈を必要とする不安的な「空間」として見ることが出来る。

こうした「空間」への志向性は現場検証によって得られる物的証拠を支持する警察の立場とは対照的であろう。例のギャング写真に見られる彼自身のマークとは死体発見場所に関しての安定した文脈であると同時に、視覚的歪曲によって不安定な座標へとずらされる。いきおい証拠は動揺し、手がかりまでも不安定となる。

このケーススタディとしてシンプソン裁判の例が挙げられるのだが長いのでこの辺でやめておく。もうちょっとかいつまんでサクサクようやくしてみたい。