水浸し京都

最近火曜の建築史の授業が冨に面白い。日本建築をむかーしからざっと概観して平安時代まで駆け抜けているというのが今週までのあらまし。資格取得第一主義の専門学校にあって、試験に出て二三問という建築史が時間を割いて教えられている本校ってと思ったりもする。
先週は平安時代の京都が実は水浸しだった、という話。今週は平安時代寝殿造について。水浸しといっても街中がビタビタというわけではない。避暑のために川から水を引いて庭に池を作っていたということであり、その規模が今と比較にならないくらい広域にわたっていたということである。

寝殿造(上の画像は「ウィキペディア:寝殿造」より東三条殿の模型)に関しては、大空間の中に蔀戸(しとみど)や几帳(きちょう)や御簾(みす)といった可動式間仕切りでパーティションするという空間構成の話。龍安寺方丈で見つけた「吊り下げられた鴨居」はあくまでもこれは仮設的なものなんだ、寝殿造の規範を破ったわけじゃないんだ、というエクスキューズであったらしい。ついたてだけだとさすがに寒くなったりしたんだろう。日本建築って実は結構そういうファジー(というかいい加減?)なところがあっていいですね。