KEN-Vi建築セミナー「建築と美術そして環境」

昨日今日と2日間にわたって兵庫県立美術館で開かれた講演会に行ってきた。タイトルにあるように建築、美術、環境を多角的に考察するというのがテーマだったようだが、ここで問われるべき「環境」の多様性がほとんど議論されること無く、単一的に語られている気がした。

マイケル・ハイザーやウォルター・デ=マリアなんかを紹介しつつ、つくられる建築そのものよりも建築物が介入することで起こる現象に注意をはらってみませんか、という千葉学さんの発表&自作プレゼン。前近代から近代へと移行する中で美術・建築・環境という3つのファクターが分離していったのだが、これらを前近代的な手法に還ってもう一度たぐりよせるのではなく、例えば近年のビルバオ・グッゲンハイムのように、なんとか場所性を生み出すことでこの3項を考えることはできないかと提案する阿部仁史さんの発表。1日目の発表は以上2つ。阿部さんは美術史を援用しながらの発表だったのだが、事実関係の整理がちょっと大雑把すぎた気がする。

2日目は妹島和世さんの近年における美術館(とそれに類する)プロジェクト(金沢21美とか)のプレゼンと、金沢21美の特任館長の蓑(みのる)豊さんの発表。蓑さんの発表の骨子は、学芸員は自分の研究ばかりしてないで美術館運営というソフト面も強化しなさいというものだった。実際金沢美は成功している(ようにみえる)例だとおもうが、彼が何をしたのかがよくわからなかったのが残念。物販の書籍が唯一完売した妹島さんの発表は約1時間で、のべ7プロジェクトを紹介されたのだが、ちょっと時間が短かった(でも喫煙所でお目にかかることができ、ちょっとだけでもお話をうかがえたのが嬉しかった。緊張しすぎて何聞いたか忘れたけど)。

個別の発表は面白かったのだが、各発表者の意図する「環境」には少しずつ個人差があって、それをさらっておくべき座談会がどうにも機能不全だったのが一番残念。なんか翁(乞想像)の説教部屋兼相談部屋になっていた。全体的に自然環境=環境というようなレベルが前提としてあったようだが、インターネット・携帯電話のような通信端末が普及した状況をさして「環境」と呼ぶことも可能だと思う。実際その観点から「情報の技術が場所性を超えた現在、ここに建てるということをどう考えるか」という提起をなされていたのは阿部さんのみだった。司会者の方はそっちのほうへ話を進めたかったのだろうけど、どうも座談会では「制作時にIT技術が介入することにたいしてどう考えるか」に関しての応答に終始されていた。