関東

群馬を発った後、横浜、鎌倉、緑園都市、多摩、六本木、幕張などの都市に滞在し、昨日実家に帰りました。またデジカメの写真を整理して時々にアップしようと思います。

多摩、幕張はとりわけ「ニュータウン」の現在を見に行くという思いで足を運んだわけですが、日影があまりないことと殺人的な熱気に負けて調査どころではありませんでした。無念。すでにその青写真から40年が経ち、いかにこの「ニュー」タウンが変化しているのに興味があったのですが、やはり住宅地区に関してはなかなか立ち入り難いこともあります。リベンジは春にでも。ただ少し気にかかることとして、ニュータウンにはコインランドリーがないということがありましたが、何故でしょうか。まあたまたまですが、ちょっと気になったので覚えておこうと思います。

ちなみに今回東京で足を運んだ展覧会は以下二つ。
ル・コルビュジエ展(森美術館)
SKIN&BONES(国立新美術館)
森美でのコルビュジエ展、見所は彼自身のアトリエ、ユニテ・ダビタシオンのメゾネットタイプの一室、そしてカップマルタンの休暇小屋の再現でした。他にも彼の絵画、彫刻、映像、作品、スケッチ等が溢れる、「コルビュジエその人の紹介」としては豊富な資料が展示されていたと思います。模型や3Dへの起こし等はとりわけ興味深かったです。ただまあ確かにすごいなとは思いましたが、彼の彫刻、絵画、そして建築がどのように相互に影響を与えているか、という点にまで突っ込んだ展示になっていないことが不満ではありました。彼が述べる「輪郭の婚姻」という概念が全面的に表現されている(だろう)コルビュジエキュビズム的絵画と、コーリン・ロウをして「現象としての透明性」の代表と言わしめたサヴォア邸との両者を比較してみるというような(たとえば)試みがあっても良かったのでは。サヴォアの長方形は非常に単純に見え、それがまた近代建築の理念を表しているように見えるけれども、屋内から屋上庭園に続くスロープのジグザグライン、ピロティ部の車寄せの楕円など、透かし彫りのように浮かび上がる図形の多様さにも魅力があるはず。その辺りがすべて絵画からのものとは言えないけど、それら相互影響を示唆しないままの展示では彼がただ多趣味の建築家にしか見えないと思います。

それにしても休みに行ったせいか驚くべき人の数でした。ちゃんとペイしてるんだろうな。

ル・コルビュジエ―建築とアート,その創造の軌跡

ル・コルビュジエ―建築とアート,その創造の軌跡


こちらも客数では負けてない新美でのスキン・アンド・ボーンズでは建築とファッションとの並行性に重点が置かれていたけれど、この両者の関係性に関してなんとなく疑問が残る。そもそも「1980年代以降の」建築と条件付けなくとも、建築とファッションとはゼンパーも言うように「被覆」という概念を19世紀から共有している。実際世紀末になされたロースへの批評も服飾的な観点からなされていた気がする。ただここで問われるべきなのは、「骨」としての柱と「皮」としての外壁とが別の次元で考えられていたか、である。それから20世紀になり技術的な解決策(コルビュジエの「ドミノ」等)も多々提示され、ミースの建築が、柱のみで屋根を支え外壁は荷重から自由にするという「骨と皮」の建物と呼ばれるのが大体1960年あたり。おそらくこの時期にはじめて「骨」と「皮」が別のレベルでとらえられるようになった。そしてこのパラダイム・シフトを象徴するかのように1980年という時期に至って、覆うものとしての外壁のみが特化され、自由度が増してきたという状況がある(以上、ざっくばらん過ぎる流れでした)。

つまり「骨」と「皮」との間の相関関係を抜きにして、ただ1980年代からの建築の外壁に自由度が増してきた、外壁の「皮」のみで自立する建築も出てきた、という点だけ抜き出してファッションと並べてもイマイチ響くところがなかった。映画『スケッチ・オブ・フランクゲーリー』の文言の一つに「彼はまるでクチュリエのように巨大建造物を仕立てあげる」とあったように、おそらく同時代的な文化の「横の」つながりをフューチャーしたのだと思うが、ちょっと短絡しすぎではないだろうか(あるいはこの映画のCMだったのか)。展覧会自体は非常に面白かったのだけど、どうにもぬぐい切れない違和感を感じてしまったのはそのせいだったかもしれない。