リダンダンシー

ちょっとメモがてら。「リダンダンシー」は「最適化」を相対化するかもしれないという話。
リダンダンシーとは「冗長性」とか「余剰性」のことを指す。くどくど同じことばっかり書いてあれば「冗長な文章」だし、くどくど同じことばっかり喋っていれば「冗長な話」になる。9・11、阪神大震災後あたりから、建築にも「リダンダンシー」が必要だと構造家からの提言があった。メディアテーク、ぐりんぐりんなどの構造設計で知られる佐々木さんによる「リダンダンシー」の紹介論文がこちら。やや専門的。

ちなみにこの論文を知ったきっかけは、この本

内藤廣対談集―複眼思考の建築論

内藤廣対談集―複眼思考の建築論

都市計画的には「一定の機能を果たす為の手段が付加されていることにより、一部が故障してもシステムは機能すること」(建築net当該項目より)とあるように、建築での「リダンダンシー」は安全性の問題へと繋がってくる。上の一文は構造にも適用できるのではないだろうか。上記論文で気になった点を箇条書き。

  • 部分が破壊しても、全体としては「もって」いること
  • 「More with Less」はリダンダンシーがない
  • 「Less is More」(ミース)より「More is More」(ガウディ)

2番目の「More with Less」とは「最小限の材料で最大限の効果」とでも言おうか。要するにギリギリまで突き詰めた合理性みたいなものを指している。ドームなどの大空間はこうした思想によってつくられ、実際その危うげなギリギリさは感動的でさえある。でも崩れると早い。つまり「リダンダンシー」がないのである。
3番目は佐々木さんの意識へと繋がるお話。論文のサブタイトルにもなっている「均質性」よりも「多様性」だ。個人的には「リダンダンシー」とは複数のロジック(解?)をあるかたちに内在させることなのかな、と思う。「最適化」の結果が必ずしもたった一つの解決策に収斂せず、常に「それ以外の解法」が存在するならば、それらを組み合わせることは「冗長」だけど構造的にはベターになるはず。冒頭の「リダンダンシーは最適化を相対化するかもしれない」というのはこうしたところからの推測(妄想?)。「冗長性」つまり「リダンダンシー」とは、要所要所にある決断すべき選択肢の複数性からきてるのではないだろうか。

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ちなみに『新建築』2004年8月号には「マスターアーキテクトに託されたこと」という田中康夫氏と團紀彦氏との対談が載ってます。街づくりを顕名の専属建築家がリードする、という田中氏の理念を興味深く読んだ。「マスターアーキテクト」というとよくわからないけど、要するに「かかりつけのお医者さん」のような存在としての建築家のことではないかと思っている。この対談、単純に面白いです。