ラウンド・アバウト・ジャーナルVol.8公開収録「若手建築家のアジェンダ」

神戸芸工大にて18:30より。と、遠かった。

  • まずは前口上

藤村氏によるフレームワークでは氏と山崎(泰)氏らによるラウンド・アバウト・ジャーナルの紹介。社会学等の分野ではある程度言説の枠組みが出来上がりつつある1995年以降という時期を、建築の分野でいかに語るのかという世代論がまずひとつの目的として挙げられた。そしてもうひとつには現在われわれがいかに都市を見ているのかという都市論の問題がある。東京という地区のなかで爆発的かつ「自動的」に建てられる膨大な建物を前にして、それを言説化する枠組みを提供しようというのがそのテーマ。そしてお話は「批判的工学主義Critical Engineer-ism」のお話へ。

  • 批判的工学主義とはなにか

建物は「自動的」に建つ。こうした物言いは例えば『東京から考える』での東氏の発言などを見るとある程度の説得力を持ちうる。

  1. 各種規制の問題やクライアントのニーズがパターン化したことから、カタログから選ぶように(Database oriented)かたちがきめられ、
  2. その建物のかたちは人々のふるまいを左右する
  3. だったら、データベースはわれわれのふるまいを決定する(ちょっとあやふや)

「工学主義」の言わんとすることはこういうことだ。詳しくは『10+1』の49号に藤村氏本人による定義・マニフェストが掲載されているので参照されたし。「近代後期の権力が半ば自動的に作動して」(藤村「「批判的工学主義」のミッションとは何ですか?―定義・マニフェスト編」)云々といわれると困るが、要するにレッシグの『コード』で書かれていた「法」「市場」「規範」「アーキテクチャー」の四つが建物を自動的に作るといってもあながち間違いではないはず。そうした前提を

  1. うけいれる(純粋工学主義)
  2. 反抗する(反工学主義)
  3. のりこえる(批判的工学主義)

レッシグの四規制を軸に考えてみると、これら四項の具体的なあり方は各場所によってきわめて複雑なヴァリエーションをなす。「複雑な条件を建築の形式性であぶりだす」とか「これによって場所を濃密にしたい」あるいは「批判的工学主義は新しい地域主義です」という藤村氏の言い方は、これら四規制の複雑なヴァリエーションへと意識的に介入すること(受け入れる/反抗するだけではなく)で「自動的」どころか「その場所ならでは」の建物がつくり得ることを意味しているのではないか。ただ個人的には「人間工学的に正しい」デザインを「工学主義」的建築と類似させて考えていたので「エンジニアリング-イズム」という工学主義の英訳を見たときにやや違和感を感じた。

  • それから各プレゼンへ

順番はこんなかんじ

  1. 柳原照弘(isolation unit
  2. 市井洋右(市井洋右建築研究所
  3. 香川貴範(SPACESPACE
  4. 笹岡周平(WASABI
  5. 今井敬子
  6. 家成俊勝 大東翼 赤代武志(dot architects)
  7. 山崎亮(studio-L

「建築家ではない」を強調する柳原氏、出来合いのものを取り外してみたい香川氏、純粋工学主義の只中インテリア業界ではたらく笹川氏、純粋/反工学主義の両者を見通す今井氏、唯一つくる論理を提示したdot architectsのお三方、つくるよりつかうことを強調する山崎氏。様々な立ち位置から自らの仕事プレゼンがなされる中、山崎さんの喋りのうまさが群を抜き、そして氏の提言がひとつの試金石となった、というのがまずひとつの感想。

ローレンツハルプリンによる「よくデザインされたものが必ずしもユーザーにとって使いやすいものではない」を引きながら、批判的工学主義がなぜ批判的なのかを唯一「批判」した人が山崎氏であった。要するに「「売れる」ためだけに批判的なら、他にすることあるんじゃない」ということだろう。世の中に解決すべき問題は山積みなのだから、そこに取り組んでいくことをまず先決するべきではないか、と。
興味深かったのは、ここで藤村-山崎間での議論が起こるかと思いきや、藤村氏の華麗なギアさばきでうまく山崎氏への賛成/反対が全体的な争点になった(ように見えた)ことだ。唯一つくる論理を示していたdot architectsのお三方でさえ、こうした枠組み設定に対して投げかける発言があまりなかったように思う。

  • さくっとまとめ

デザインには上流と下流がある。今は条件がすでに決定された後の下流でデザインしているけど、もっと上流まで行ってその条件までもデザインするようなはたらきかけが必要。インタヴューの中でひとつのトピックにもなったこの大江匡氏の意見を参考にしてみたい。要するに、本公開収録で一番の問題になったのは

あなたは上流にいるかあるいは下流にとどまったままなのか

ということではなかったかと思う。一般的な格差論ではないのでご注意。それぞれの立場からこれに対する答えが出されたものの、具体的にその立ち位置からいかなるものがつくりだされうるのか、に関する具体的な発言が後に引いてしまったように思う。本来的に話されるべき「個別のアジェンダ」をもう少し聞きたかったなという気分。それでも印象に残っているのは、SPACESPACE香川さんの上に述べた「出来合いのものを崩す」というテーマを「package」「humanscape」といったコンセプトで展開されていたこと。ただ時間がなくあまりお話が聞けなかったのが残念。藤村氏による議論のすすめ方はきわめて参考になるものだと思ったけど、そのうまさに見とれているだけでは足元をすくわれてしまうなとも(聞き手であれ、あるいは「聞かれ手」であれ)思う。興味深い公開インタビューだった。

ちなみに会場で偶然(ちょっと嘘。いらっしゃるだろうなと推測はしていました)お会いした川勝さんも、ブログ「portrait in something」にてレポを挙げてくださってます