言えなかった事の補足

建築系ラジオに出ました。お蔵入りにならなかったらそのうちアップされると思います。
テーマは「記憶に残る建築書」、挙げた本がこれ

巨匠ミースの遺産 (1970年)

巨匠ミースの遺産 (1970年)

リメンバー山本学治ということで山本+稲葉『巨匠ミースの遺産』。53年に山本氏が書いたミースのモノグラフを書き直し、当時ミース観が共鳴していた教え子である稲葉さんの第3章を付け加えたのがこの本。出版は1970年。この時期が60年代後半の近代主義批判と重なってくるという背景はちゃんとおさえときたいところ。構法史家という山本氏のエンジニア寄りな視点によって包括的かつ緻密にミースの仕事(とりわけそのディテール)を読み込むことで、言説のレベルで神格化されやすかったミース像を相対化しているところがこの本の一番の重要ポイント。なのだけど、これは単純な均質空間批判というわけではない。
「社会的な要求と技術との相互影響によって建築が発展していく」という山本氏の建築観が示すとおり、氏にとって社会的状況と建て方との距離感こそが重要だった。実際ドイツ時代のミース(亡命以前)も時代に相即した技術や素材を奨励する旨の言説を残している。ところが、ミースがアメリカにわたり普遍的空間と呼ばれるような実例を作り続けていくなかで、よく見てみると必ずしもスマートじゃない工法が出てくるのである。具体的にはシカゴコンベンションホールの架構、バカルディオフィスビルとベルリン20世紀美術館(実作はドイツ新国立美術館)の屋根を支える柱、山本氏はここにミースの個性(非普遍性)を見た。そして彼の思想の挫折を見た。ミースの古典へのオブセッションを読み解き、彼の想定した時代モデルが、言説の勇ましさに比して、静的なものとなっていることを批判するのである。
つまり冒頭で触れた山本氏の相対化とは、ミースを時代と素材とを、時代と技術とを問うたものとしてとらえなおすということだった。だからこれは単純な均質空間批判ではない。氏の批判はミースの言説と工法という両側面を精緻に読み込んだ結果なのであって、いきおい読みづらいのは確かだけど、そのスリリングさが僕にとっては一番の衝撃だった。その後に起こるミース論にもかなり影響を与えているはず。だのにWikipediaのミースの項にはなぜか参考文献として挙げられてないのがかなしい。なお、もう少し理論的な側面をフォローしたいという人にとっては第3章の稲葉氏の論文がオススメ。山本氏は建築内で言説を組み立て、稲葉氏は建築外の言説を引きながらミースを語っている。
ご参照くださいませ