評価させてくれ

うかつにも「ビフォーアフター」のビフォーの建物にちょっとした魅力を感じてしまったことはないだろうか。居住者の「苦悩」、匠の登場、鮮やかな問題解決、例の曲、そして「なんということでしょう」の文句とともに、居住者の感激とは裏腹に、その出来上がった空間の「こざっぱりさ」にちょっとした落胆を感じたことはないだろうか。

そもそもその建物は本当に「失敗」だったのだろうか。「6坪の家に6人」が窮屈しているのは、異常か。それは団らんとは違うのか。彼らが新しい空間を使用している様子は時間の関係上か何かよく分からないが放送されないまま終わるから知りようがないが、その空間は彼らに以前より密なコミュニケーションをもたらしてくれたのだろうか。

ソフトフォーカスの映像、ワイプ画像に移されたタレントの羨望。居住者の感涙。デザイナーを「匠」と呼び、その手腕を魔法と称する「ビフォーアフター」の胆は評価付けを確立したことにある。彼らはそっとあなたの耳元でささやく。新しくなったこの空間は絶対的にいいですよ。だって匠がつくってくれたんですからね、と。

リノベーションを糾弾したい訳では全くない。ビフォーアフターを頭っから否定したい訳でもない。喜んでくれる人がいる限りその空間には魅力がある。ただちょっとだけ残念だと思っただけなのだ。居住者が暮らしの中に問題を感じ、それに対処した痕跡が払拭されてしまったことを。僕はペットボトルか何かでつくった即席のシャワーを、突如現れるダイニングスペースを、素晴らしいと思う。しかし画面にはこう映る。誰かが持っていないとシャワーとして機能しないから、誰かが浴びるとき他の誰かがそのペットボトルを持っていなければならない。不便さを伝えるその映像が捉えたその時の二人の顔は確か笑っていたような気がするのだ。別にそれを続けろと言いたい訳じゃない。ただその暮らしの中からとりあえずでも出てきた解決策を、彼らに対してちょっとだけ「それいいですね」と言いたいだけなのだ。そこには「価値」になりそうななにかが、うっすらとでもあったんじゃないかと、まあ否定されるだろうけど、言っておくべきだと思うのだ。