野心

七月二十七日、
壬生寺のとなりにある清宗根付館で一生分の根付を見る。町家改修美術館。すごくたくさんのお金を使って手直しをし、すごくたくさんのお金を使って維持管理をしている。だからお庭の手入れもバッチリ。ただ展示のために畳の上に似つかわしくない什器が置かれているため、空間の重心と気積のバランスに違和感が。それでも天井の高い土間から格子状の引き戸を通してエントランス越しに見える風景はいい。土間からは二階にも上がれて、二階にももちろん根付。そればかりか象牙まで。なお土間にはテレビが置かれ、根付の制作過程が繰り返されている。BGMはヘッドライト・テールライト
その後QC企画書の手直し等。短針の先端に長針がつき、長針の先端に秒針がついている時計があるという。たとえば0時00分00秒に最長半径。会話のきっかけに便利。ついでに時間もわかる。

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七月二十八日、
QC企画書手直し後、QC打ち合わせ。その後秋プロジェクトのテキスト作り。さらにその後は世の中の人が何を調べているのかを調べているという例のプロジェクトの打ち合わせを四条烏丸ホリーズカフェにて。会話中思いついた「リサーチスクエア」という名前。リサーチのリサーチで二乗だからリサーチスクエア。

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七月二十九日、

野心を持つということは、特定のねらいを持つということでもある。ところがこのねらいは誰にもわからない。野心的な人はたかだか望まれた立場や身分を勝ち取りたい、という目的くらいしか明らかにしない。それを手段として何をなすか、ではないのだ。大統領になりたいと声高に叫ぶ人はいるだろうけど、それが現実のものとなったときに彼らが何をするのかなんて一体誰に分かるのだろうか。

久々のREADTANKは野心についての話。野心は権威や有名性を欲し、その権力や有名性によって物事は構成されていく。建築界も然り。その地位についた建築家は社会的政治的プレゼンスを高め、情報のギブ&テイクに参与し、それを利用しながら、建てる。権力や有名性。それは目的的に響くけれど、あくまでもなにかをなすための手段であるととらえるべきだ。「その中を泳ぐことなしに今日の建築家がよい(あるいは「スーパークールな」)建物を実現することは不可能だろう」。それは確かにそこにあり、ちょっとやそっとじゃ動かせないほどにとても重い。でもその輪郭はあまりにも曖昧で、おいそれと見えたものじゃない。見えないものとするのも容易。

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七月三十日、
ユニフォームの生地選び。その後「リサーチスクエア」の下準備、MKK関連テキスト作成、QC企画書。