シエルネット

十月一日、
QC講師依頼メール送信。府大のS先生から即座に返信をいただき、5日に少しお話することに。午後、hanareradに宿泊中のサバイバートさんたちによるピンポンクリティークを見に京都芸術センターへ。ピンポンクリティークとはピンポンの古今東西みたいなディスカッションなんだ、厳密には少し違うが、という話を事前に聞くも実際の現場を見そびれる。というのもその後近所のお好み焼き屋さんにてU-40建築家トークにお邪魔したからだ。TNAさんのおめでとう会がメイン。Mさんに半六邸の話を聞いてもらう。さらにその後出てもいないピンポンクリティークの打ち上げに顔を出す。たこ焼きをお土産に持っていった。桂でスペースを持ちながら活動されているアンテナさんや、十月末にそのスペースで個展を開かれるKさん、メディアアーティストのSさん、ライブペインティングを試みるHさんらによる、ドープなディスカッション。

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十月一日、

ネットカフェ。西院と桂との間くらいにあるシエルネット。MKタクシーが背後にあるようだ。背後にと言ったが、物理的には、MKタクシーの事務所は隣。一階はゲームと麻雀、三階はバッティングセンター、そのビルの二階がネットカフェ。同一フロアにビリヤードがあるのだけれど、ガラスで仕切られているのでやや音がうるさい。そして店内をうろうろしていると、個室サウナがある。シャワーももちろんあるし、洗濯機もある。洗濯機のあるネットカフェはここをあわせて今まで二件しか見たことがないのだが、洗濯機はあると便利だ。高級マッサージチェアを一台入れる分の予算で、おそらく二三台の洗濯機を入れることができるはずなのに、ネットカフェの人たちはあまりその選択をしない。旅行客は間違いなく洗濯機ありの看板に惹かれるだろう。だから、というか、ゆえに、その選択はターゲットの選定や立地条件を十全に吟味しなければならないんだろうと思う。

ここのマッサージ席は1200×2400程度。奥行きに関してはトップクラス。一番は快活クラブのマッサージ席。でも僅差。その他シングルは1200×2000程度で、ペア席になると1800×2000。モジュールがはっきりしているのは個室ユニットの適応度が高い証拠か。とはいえここは居抜き物件ではなく、あらかじめネットカフェが入ることを想定されたビルなのであろうから、適応度も何もないかもしれない。室内は暗めで、どれくらい暗いかというと、写真がうまく取れないくらい暗い。その分寝やすいのもまた確かだろうが。3時間で約1000円。入会金も必要。カバチタレを読む。帰り、レジが壊れていたようで、会計がもたつく。

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十月二日、

展覧会準備のため菊地宏さん来京。朝からセッティング。セッティングしながらお話。色、物質感、建築、ジオラマ、写真、DTP鉄道模型、山、スイスの話。そのままレセプションへなだれ込み、最終的に思っていた以上の人の入りにすこしビックリ。二次会は近くの悠々亭。最近改装したようだったが、どこをなおしたのかはわからない。

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十月三日、

昼から菊地さんのギャラリートーク。昨日のセッティング、レセプション、二次会、今朝の会場設営中、ギャラリートークのお話なども絡めらながらレポートをかく。終了後は菊地さんと夕方までしゃべる。ヘルツォーク事務所でのはげしい合理化政策を聞きながらみんなでわらう。ジャックはペンで、ピエールは消しゴム、と菊地さん。問題を抱えたチームはその議論がどれだけ生産的なものでもチームごとグッバイされてしまうとのこと。ピエールはオーガナイズの面でも消しゴム。あなたはこの人に対しては全面的に意見できない、この人に対してあなたはアイデアの点では意見できるけど、その他はだめ、この人には全面的に意見してよい、などという対人関係ガイドラインが膨大な量あるらしい。スイス人はやることが極端。そのわりに。遅刻するとベクターワークスにログインできないんだよ、え、人数分アカウントないんだ、じゃあ遅刻するとアウトですか、いや、会議で席外してるやつのとこ勝手にログアウトして代わりに入るの。

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十月四日、

NOT PILLAR BOOKSさんへお邪魔する。NPBのKさんは亀岡のご自宅を仕事場にされているよう。玄関先でジンの選定をする。子供さんたちは朝運動会があったのに、タカタカ走り回ってとても元気。その横でジンの選定をする。ハードコアーなジンを。

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十月五日、

京都府立大学のS先生の研究室へ。S先生は公共政策の価値基準をどのように決定するかに関する研究をされている。公共政策はある問題をみんなのものに引き上げたところにある。そしてその調停をどのように考えるか、という、まさにその観点から今回は景観について語っていただくつもり。たとえば、ということで、景観問題は所有者や利害者間の問題となりがちだけれども、「あかの他人」はそこにどうやって介入できるのか、できないのか、という視点を打診。概ねご理解とご了承をいただけたようで安心。その後、S先生から公共政策学会で何かしゃべってもらえないか、というお話をいただく。

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十月六日、

いぼやいた。うごけず。

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十月七日、

都市を使い切るために、を見る。都市中の空いているスペースを「MEGAHOUSE」社が一括して管理し、必要なときに必要なスペックの空間を、必要としている人にレンタルするというシステム。面白いのはその空間のヴァリエーションを「試着室」と呼ばれるスペースで「体感」できることだ。体感を括弧付けしたのは、四方をスクリーンで囲い、そこにあるはずの空間イメージを投影しているにすぎないだからだ。そこからは完膚なきまでに物質感が抜け落ちている。不動産のチラシ以上、内覧以下の空間情報がたちあらわれるのだ。

ここから考えられる帰結は二つ。一、私たちが情報社会においてなお行う内覧の「アクチュアリティ」にこのシステムは勝てないのではないか。これはベタな意見。でも強い。二、しかしながらここにはありそうな「リアリティ」がちらつく。というのも私たちは今、物質感の剥離した空間イメージ以下の情報量で空間を選び取り嗜好しようとしているふしがあるからだ。ホテル、ネットカフェ、カラオケしかり。こうした状況がすでに実現している現在、このシステムはうまくいくだろう。ただ一はおそらく阻害要素としてつよそうだ。だから僕はこのシステムには特に文句はなく、そうではあるが、気になるのは「MEGAHOUSE」社のやりかたであって、このシステムをすすめるなら一気にやらなければならないと思う。都市限定という形だと、システムは回っても、結局一等を要因としてつぶれてしまいそうなのでよくない。ゆえに「いきなり」「日本全国津々浦々」でやればよい、あるいは、やるならばそうしなければならない、と思う。

たくさんの都市にわたって、という前提はすでにあるのだろう。でも、「いきなり」「日本全土で」に類する説明あるいは考察はなかったように思う。でも僕はそれがもっとも重要だと思う。そしてこのシステムを動かす「主体」に興味がある。それを考えた上で、それは・・・と思うのなら、その思うふしをこそつぶしていく算段をするべきだろう。それこそ今取り組むべき問題だとおもうからだ。

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十月八日、

ゴミ投資家のための人生設計入門、を読む。人生の八割は土台。人が自由にできるのは、その上の二割だけで、この本はその二割にはとんと興味がない。人生の八割の土台の、とりわけ経済的な部分、それも不動産と保険という重要な部分への考察を通して私たちの蒙を開いてくれる一冊。不動産は買うがよいか借りるがよいか、現在の不動産市場において土地とうわものを買うということはどういうことなのか、なぜ借りるという選択肢がよくないと思われているのかなど。すむための不動産入手は投資ではないかもしれないが、その観点から見てはじめて見えてくる事実も確かにあり、それを受け止めた上でことにのぞむことがよいと、少なくとも個人的には、感じた。ゴミでも投資家でもない、なるつもりもない、と思われている人にもおすすめ。