サイバック二回目

十月二十三日、
ネットカフェ、サイバック河原町店、二回目、ここはマッサージ室が独立して存在しており、そこには高級マッサージチェアが三脚並んでおいてあり、壁面の適切な位置にはテレビがそれぞれ配置され、部屋の明かりは過度に暗く、そればかりか、そのマッサージチェアが高級であるがゆえにマッサージのバリエーションも「しっかり手もみコース」「骨盤調整コース」(あやふや)などと身体へのいたわり度合いがなかなかどうしてという状況であったため、ひとコース15分のやさしさ快楽地獄に耐え切れなかった私は、計測の役を全うする以前に、時間分を全て睡眠に当ててしまったのであった。不覚。

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十月二十四日、
GRLKYOTOウェブサイト「Resources」を更新。

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ハック、ハッカーの面白い定義。「単に建設的な目標を達成するだけではなく、それにかかわること自体がスリリングな喜びであるような作品や計画は「ハック」と呼ばれた。」またべつのところには、「ハッカーたちは、システム、ひいては世界についての欠くべからざる教訓は、物を分解し、その動きを観察しそうして得た知識を用いて、新しくより面白いものを作り出していくという経験を通じて、学ぶことができると信じている。彼らは、それを妨げようとする人間、物理的障害、法、すべてに憤る。」スティーブン・レビーの、その名もまさに『ハッカー』より。

今週分にはとりわけなんのゆかりもない桂シエルネットのビル。わりとでかい。

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ローズ・ジョージ、トイレの話をしよう、を読む。もよおしたときには便器に座り、用を足し、紙で拭き、水で流す。私たちはそれを当たり前だと思うけれど、それが実は当たり前ではないのだ、という至極当たり前の話を、私たちはしばしば忘れがちなのだ。世界には、便由来の細菌によって毎年多くの人が亡くなる場所もあれば、ただ水に流せるのみならず、快適さの名の下にウォシュレットの最適角度を追求する場所もある。あけてするところもあれば、しめてするところもある。誰にも平等にある、でも誰も率先して話そうとはしない、ウンチの話。

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十月二十五日、
夕方からAちゃんを囲む会。Aちゃんの同期の方々などなどがぞろぞろとhanareradに集合するも、本人の顔は見えず。O邸のための作業が終わらなかったそうだ。結局みなが帰った後に登場したとのこと。いっぽうそのときradlabでは、muzzのTさんとアーティストのSさんがご来廊くださる。お二人の作品の肝となる(だろう)固有性の話にからめ、建築でも文脈の読み込み次第で、「均質化」されているとされている「ありそうな」郊外でさえ、「固有の」建築が建ちうるのだ、という議論を紹介する。人口密度、年齢配分、交通量、公共交通機関との接続性、条例、環境など、もちろん経済原理もそこには存在し、要するに与件の選択次第では、「その地ならでは」が可能なのではないか、という旨。今度ピンポンをしましょうと、Sさんと約束する。

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十月二十六日、
いぼを焼く。これはいぼではない、と勝手に判断していたところも、いぼであるそうなので、焼いてもらう。

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その後帰宅するとAちゃんが在宅。KさんYさんIくんもいた。hanareradのカーテンをどうにかしようという話になる。それから事務所へ戻り、QCのための協賛お願いFAXを送信。

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十月二十七日、
GRLプレイベントをアンデパンダンで。友人のLさんが来てくれる。今回は基地で使用する予定の家具にテープやシルクスクリーンでデコレーションを施すというもの。同志社で美学を研究するBくんとストリートカルチャーの話。オランダから来た家具デザイナー、マティアスが家具デコに参加してくれる。終了後のラーメンもマティアスと一緒。片付けまで手伝ってくれた。ありがとうマティアス。
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http://mathiasgeoffroy.net/
マティアスのウェブサイト
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光量少な目の中、きてくださったみなさんありがとう

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十月二十八日、
群となってまちを歩き、気になったことをメモする、ただし「他人の背中に書くこと」、というルールでもってまちあるきツアーを企画した三木さんらが「まちあるき」の総まとめをradlabでするということで、それを聞く。「他人の背中に思ったことを書く」というシステムはユニーク。しかし、それがどういう意図の下にあり、それが結果どうだったか、ということ、あるいは、どういうところに帰着しそうか、ということに議論を向かわせるべきなのだけど、個人の自由を尊重する限りまちづくりはできない、という原理的で基本的な事項を確認するような議論になっていたので、それを言い、原理的なところでは「まちづくり」は誰の問題で、どういう妥協点のもとに「個人の自由」が尊重されつつ「まちづくり」も可能なのかを考えたらどうだろうか、ということを提案する。まちづくりが誰の問題なのか、よくいわれる「みんなのまち」というときの「みんな」とは誰か、そしてまちづくりという「みんな」の問題とされているものを解決するためのツールとなるはずの「民主主義」は、そのときどういう役割を果たすのか、それは有効なのか、という、今度QueryCruise佐野亘先生の回のテーマも提示する。

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十月三十日、
GRL用家具製作。途中Not Pillar BookのKさんと電話で打ち合わせ。