自遊空間とEZCAFE

十一月二十日、

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ネットカフェ。自遊空間よしもと新京極店へ。券売機のような機械を相手に、勝手に入店手続きができてしまうというハイテックさにまずびっくり。なおこの方法で入店した人は100円安くなるというサービスに二度目のおどろき。自遊空間ではビリヤード、ダーツ、カラオケ等の遊びの一環としてネットカフェが存在しているので、まさに複合カフェという名称がぴったり。ただし、ぴったり、とは言ったものの、この様子で果たしてカフェと言えるのかという疑問は残り、逆に言えば、にもかかわらず「カフェ」という名前が残る、という現象そのものに面白みがあるのかも知れない。
ここのネットカフェの特徴を一言で言うと、空間的想像力を欠き立てるものがある、となる。分かりやすく言えば、狭い、となる。各個室幅1000程度奥行1700、 2100、2700、ペア席になると幅が1700とかになる。このネットカフェでは間仕切りはフレームが先に作られ、そこから吊るような形で板が挿入されている。奥行きの不思議な「飛び」は、パネル化の影響があると考えられ、推測するに600〜650、1000〜1050くらいのパネルが使用され、その組み合わせで室の大きさが決定されているような気がする。そして、さらに付け加えておきたい特徴は、各入り口が約400程度しかないということだ。これは明らかに狭く、たとえるならば壷のような状態になっている。壷状のせいか、中の空間が広く感じられ、居心地もなかなかどうしてというところ。これら個室以外でいうと、ファミリールームという畳敷きでコタツのある広めの室もある。1700×2600程度で、入ろうと思えば四、五人は入れそう。ジャイアントキリングを読む。

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十一月二十一日、
muzz へ。斉と公平太「Have no name」。八十数枚の絵、とても分かりやすいテーマで描かれているような絵だが、微妙にタッチが変えてあったり、同じものを描こうとしてほぼ同じ対象が画面のほぼ同じ位置に来ている複数枚の絵があったり、そのテーマと微妙に無関係な絵があったりと、本来ならば同一の作者による同一の展覧会、の名の下に均されているはずのそれら微妙な揺らぎが浮かんでくるようで、見るたびに見る箇所が変化していく。ほぼ、とか微妙、とかが多い文になったが、そのあたりに惹かれたのだった。

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repミーティング、そのごお疲れさま会を祇園山口にて。祇園にあるのに安くてうまい。相場よりも、というより絶対的に安い。

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十一月二十二日、
Sさんと卓球。Sさんは作家さん。映像をよく使われる方だ。作者の固有性などがしばしば俎上に挙げられていると聞いた。芸術とは、という問いには、「いつ」芸術なのかという問い方もある、というお話をする。何が、とか、どのような意味において、ではなく、「いつ」。じゃあ建築はいつ建築か。建ったら建築か。写真になり、雑誌に掲載されたら建築か。あるいは住み終わった時初めて建築になるのか。すんなり答えは出ず。卓球、僅差で負け。

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十一月二十五日、
GRLKYOTO後のブックレット企画打ち合わせ。テーマはハッキング。確かこの日だったか、100000t(十万トン)という古本屋にて、バリーユアグローの、一人の男が飛行機から飛び降りる、を買う。超短編集。人型の凧を揚げたらどうもそれがリアル父親なんじゃないかという疑念にとらわれる息子のはなし。母が半狂乱になり、息子も冗談だろと思ってはいるが、でも本当にはそれが父親なんじゃないかと思い始めるところで終わる。

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十一月二十六日、
深夜、バスで東京へ。

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十一月二十七日、
東京。展覧会を三つほど見て、滋賀でお世話になった高浜利也さんのアトリエへお邪魔する。亀有の新興住宅街の一角に小規模工場群が残る、そのうちのひとつが高浜さんのアトリエ。もともとこの地は田んぼで、用地転用して工場群にし、それらを潰して現在では新興住宅地ができつつある。数年の間に高浜さんのアトリエも潰されるそうで、立ち退きを待っているのが現状。新興住宅地域が工場群を浸食している様子がありありと分かり、前線は太い線でくっきりと描かれ、まさにそのラインギリギリのところにあるのが高浜さんのアトリエ。細い通り一本はさんだ向こう側は幹線道路の幅が拡張されており、2、3日前にはコンビニができた。当該部分の「こちら」側、つまり道路のひろがりしろには一軒のプレハブ小屋が残り、そこにはテナント募集、とある。
「自分は大工としてホワイトキューブをつくっていた側にも立っていたから、ホワイトキューブが中立的に見えないときがある。バックヤードに見えてしまう」高浜さんは時々大工をしているということを隠さない。大工としての高浜さんと制作をする高浜さんとは重なりあっていて、分けられない。「図面ひくような感じで版画をつくってる」高浜さんと床をつくったりしたが、高浜さんは版画家。

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その後同期と会い、後輩と話す。ベルコモンズCIBONEで展示されていたPIET HEIN EEKの家具がよかった、と話す。

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ネットカフェ。歌舞伎町のEZCAFEへ。最近終わったコマ劇近く、深夜だったため割とものものしい雰囲気のなか、割とものものしい雑居ビルの3階。エレベータを下りると女性が電話でなにがしかを話している。京都では見られなかった風景。店内へ。カウンター内の床が上げ底になっていて、立つ店員の目線が高い。カウンターへ来る度に高いとおもった。料金システムを見ているとシャワー完備とある。ここの特色なのか、それとも東京のネットカフェの特色なのか、そのシャワーはどうやら無料で浴びられるようだ。最近どういうわけか料金を追加せねばならないことが多いのだ。
お座敷席、リクライニング席、ベッド席、ペアお座敷席。ベッド席というのは要するにフルフラット席であり、お座敷席も要するにフラット席だった。置かれてる椅子的なものがお座敷席ではクッションの大きいやつだという違い。それとお座敷席の一部にはフローリングになっているところもあったりした。三時間でだいたい千円。喧嘩商売を読む。

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十一月二十八日、
横浜。国際映像祭へ。BankartNYKでの展示を一通り見ていたらけっこうな時間になる。壁面へ動く影の映像を投影することで、その投影されている壁自体が局所的にもりあがったり、おちくぼんだりするように見えるという作品。動くトロンプ・ルイユ。排気口らしきもの、柱型といった壁面に存在する要素のあれこれも含みこまれている。それから、何か起きそうなのに、何も起きないという映像。映像を見るときにストーリーを探してしまうという癖。夕方から新港ピア。「音楽映画」なるものを見てわらう。映像中に出てくるものを、スクリーン前に立っている十数人が叫ぶというもの。要するにはそういうことなのだが、いろいろとルールが追加されていてうまく説明できそうもない。面白みとしては、個々人の認識の適応度のようなもののズレから、映像を見直すきっかけになっているということ。ある人は多くを描写し、またある人は目に見える大きなものだけを叫ぶ、というように。そのあとIくんやTくんやSさんやEさんと会ってお話をする。あと展示を見ていたらジェームス先生に膻脇腹を切りつけられたりした。帰っているもんだと思った。そして元田中の100鈞で買ったチャンバラの剣をいまだにもっているとは。もう捨てたと思った。「東京帰ってきたんだけど、やることなくて大阪行ってきたぜ」